ススキの見え方
平安時代の女流作家、清少納言の「枕草子」に、ススキについて述べた一文があります。
秋の野の素晴らしさはススキにこそある。蘇芳色に色づいた穂先が朝霧にぬれ、風になびく様はこの上ない。しかし、秋も終わりになると見所がなくなる。頭が白くボサボサしているのも知らず、昔と同じような顔をして風に吹かれてゆらゆらしているのが、人間によく似ている。人と比べるにつけて、しみじみと思う。
(枕草子より)
穂が開く前のススキは穂先が赤みがかり、夕日に照らされると赤紫から金のグラデーションに輝きます。品のある控えめな華やかさともいうような美しい佇まいを見せてくれます。
それが寒くなるにつれ、穂がふわっと開いてくると雰囲気ががらりと変わります。清少納言はその変わり様に老いの境涯を見て「あはれなり」としていますが、風流気のない私はふわふわのパーマをかけたような頭を見ると、大阪のあふれんばかりに人情があるおばちゃん達を思い出し、逞しさや面白み、そしてその先にあるほんのりとした哀愁を感じてしまいます。清少納言になれず残念です。
ただ、日本人特有の感じ方なのか、自然の中にどうも「人格」を見てしまうことはあると思います。何にでも神様が宿る八百万的な考え方がDNAに染み付いているのかもしれません。
ススキ一つとっても100人いれば100通りの見え方があり、どれも面白いのだと思います。ふわふわの犬やわたあめにも見えるかもしれません。あなたにはススキがどんな風に見えるでしょうか。