夢乃井(ゆめのい)

「夢乃井」登場人物紹介

飯塚の田んぼから車で五分ほど走ると、夢前川沿いにある温泉旅館・夢乃井(ゆめのい)に辿り着く。夢乃井は小高い丘の上にあるため、館内からは夢前ののどかな景色を一望できる。日が暮れる前に到着した一行は、食事の前に一日の汗を流そうと先ず露天風呂へと向かった。

今西と石丸は、夢乃井の名物露天風呂・満天星にゆっくりと身を沈めながら密度の濃い一日を振り返っていた。歴史を学び、郷土食を知り、田んぼの土を掘る。そしてキャラの濃い夢前町の人々との出会い──。お湯に浸かりながら夢前町の夜の景色に目をやると、一面に広がる田畑は夜の闇と融け合い、空には小さな星が幾つも瞬いていた。

酒を呑む人間ならお分かりであろうが、夢前町の一日はまだ終わっていない。そう、酒好きにとってはこれからが本番なのだ。

「乾杯ー!」

響き渡る声とともに、夢乃井の宴会場で夕食が始まった。乾杯のお酒は、播磨日本酒プロジェクトの「播磨古今」。日本酒発祥の地と言われる播磨の庭田神社で発見された幻の麹菌と酵母菌、播磨で育てた酒米・愛山(あいやま)を使って壺坂酒造で醸したお酒である。

「今年の播磨古今は今までで一番旨くできたんですよ!」

嬉しそうに一升瓶を持って注いで回るのは、壺坂酒造の杜氏・壺坂である。四十代前半の彼は壺坂家二十四代目のオーナー杜氏で、やや天然気味ではあるが酒造りに対する思いは熱い。壺坂酒造は四百年以上の歴史があり、江戸時代創建の古い酒蔵には空調設備がない。蔵の扉の開閉だけで温度調節をし、自然発酵で醸すという昔ながらのやり方を今に引き継いでいるのだ。

あえて手間のかかる方法で造るのは、夢前の気候風土を酒に移しとるためだという。だからであろうか、 壺坂のお酒は夢前の穏やかな風景そのままに、どこか丸みを帯びたやさしい味がする。

夕食の席には一緒に旅をしてきた飯塚、壺坂、今西、石丸、小山内、関の六人に加えて、新たに二人のメンバーが座っていた。夢乃井の副支配人・大塚と、ホテル・ニューサンピア姫路ゆめさきの総務部長・高山である。彼らも播磨日本酒プロジェクトの仲間であり、仕事が終わった今、 やっと合流できたのだ。

高山(左)と大塚

ネクタイを緩めながらほっと一息をつき、お膳の前にどっかりと座った大塚。彼は元体育会系の大食漢であるが、近年は仕事に専念しすぎて体を動かす時間がないのか、顔もお腹も丸くなって きている。彼の前に飯塚が何やら手に持って忍び寄っていった。

「大塚さんお疲れ様です! コレいかがですか?」

そう言いながら飯塚は臨済寺で分けてもらった焦げ茶色の佃煮を差し出した。それを一瞥するやいなや大塚は叫んだ。

「コレ、俺知ってるし! 食べたら絶対アカンやつやん!」

「なんちゅうもんを食わすねん。」と山椒さながらの渋い表情を見せながら、大塚は山椒の皮と飯塚を睨みつけた。そう、これはあの凄まじい夢前郷土料理「からかわ」である。食に目がない大塚はこんなマニアックな郷土食も当然のごとく知っていた。文句を言いながらも佃煮を少し口にしてみるところは流石である。大食漢大塚──夢乃井の従業員から「大塚さんはしょっちゅう何かしら食べてます。」と勤務中の様子をしばしば暴露される、愛すべき夢乃井の副支配人である。

今宵のメンバーは酒好きが多い。壺坂が用意した一升瓶は瞬く間に空になっていく。陶芸家の今西は大の日本酒好きであり、同じく酒好きの関とともに、差しつ差されついいペースで呑み進めている。

対して写真家の石丸は普段はワインを好んで飲むという。そんな彼でも飲みやすい播磨日本酒プロジェクトのお酒が「愛山1801」である。協会1801号という酵母を使用しているため、酒の香りがフルーティーで華やか。愛山の奥深い旨味もありながらスッキリとした飲み口で人気のお酒である。

酒好きの仲間と呑むと美味しさもひとしお、ペースも早くなる。一升瓶が何本も空になり、宴会場の雰囲気も酒呑み仕様に出来上がってきた。皆が頬を赤く染め、盃片手に心も浴衣の帯もゆるくなってきた頃、ホテル「ニューサンピア姫路ゆめさき」の高山がすっくと立ち上がった。年の頃は五十前後、スラリとした細身の体型にネクタイをきりりと締め、真面目で実直な性格が眼鏡ごしに見える。凛と整った姿勢はホテルマンとして申し分ない。彼は資料を手に颯爽と皆の前に立ち、いつもの真面目な口調で話し始めた。

「では、これから皆様に夢前町の魅力についてご説明したいと思います。」

「マジメか!」

盃片手にツッこむ今西。

そう、高山はいつも真面目で仕事熱心である。夢前町の地域活性事業「ゆめ街道」の事務局長も務める彼は、遠方から来た今西と石丸に、夢前の魅力を伝えようと「今」資料を片手に立ち上がったのだ。なぜもっと早い段階で立ち上がらなかったのか。夢前町の魅力をゆるみきった酔いどれ共にいくら熱弁したところで、明日には綺麗に忘れていることであろう。そんな真面目な高山も実は大の酒好きであり、もうすでにかなりの量を呑んでいる。

百人いれ ば百通りの呑み方がある。どんな酔いどれも丸く受け入れる。日本酒にはそんな大らかな包容力があるのかもしれない。

酒好き達の夜は無駄に長い。夕食の後は当然のように一升瓶を抱えてカラオケルームになだれ込む一同。各々が心地よく美声を披露しては呑む、そんな最中、石丸がスマートフォンを手にニヤニヤしていた。彼は飯塚の顔写真を撮っていたのだ。

米農家・飯塚──彼の作る米はとにかく旨い。飯塚の米は素材にこだわる多くの飲食店で使われており、彼自身の人望も厚い。ゆくゆくは播磨の稲作農家のトップの一人として未来へと農業を繋げる漢(おとこ)になるであろう。

だが天は二物を与えず。惜しむらくはその顔である。農作業で真っ黒に焼けた顔は表情豊かで愛嬌があり、なおかつ本人が笑いをとろうと日々面白い顔作りに力を入れているため、真面目な写真が一枚も撮れないという欠点がある。何度彼にカメラを向けても、そこには「ひょっとこ」しか写らないのだ。

しかしながら写真家・石丸は違う。彼はスマホで飯塚の本質を捉えていたのだ。

画像を比較すれば一目瞭然である。同じ場所、同じ時間に同じ人物を撮ったとは思えない。石丸の手にかかれば、ひょっとこ顔も年季の入ったボクサーのように渋く仕上がるのだ。

石丸は日本人で初めてサロン・デュ・ショコラ・パリ公式ガイドブックの表紙を飾り、大手企業の広告写真をいくつも手掛け、国内外で活動の幅を広げる一流の写真家である。田舎の旅館のカラオケで無駄に才能を発揮している場合ではない。その才能はもっとしかるべき時に使うのが正しかろう。彼には「日本の広告を支える」という大きな使命があるのだ。

カラオケルームを出た後、壺坂と小山内は皆に別れを告げて家路に着いた。残りのメンバーはこのまま夢乃井に宿泊である。その後、彼らは今西と石丸の部屋へ集合し、夜が更けるまで飽きることなく呑むのであった。

なお、一番初めに記憶を無くして酔い潰れたのは飯塚であり、最後まで一番元気だったのが最年長の関であったことを記しておこう。兵庫県立大学の名誉教授である彼は物腰穏やかな知性溢れる紳士であるが、酒の席はとことん付き合う。酒好き達の長老として今後も皆を引っ張って欲しいと切に願う。

兵庫県立大学 名誉教授・関


さんざん呑み明かした翌朝、夢前の空は晴天に恵まれていた。午前八時、今西と石丸は朝食を食べに夢乃井のレストランにやって来た。昨晩夜中まで呑んだにもかかわらず二人とも絶好調である。南向きに面した開放的な窓からは晴れ渡ったのどかな景色が一望できる。

田畑広がる夢前の風景を眺めながら朝食をとっていると、関と高山がやってきた。

「おはようございます。」

爽やかな笑顔で挨拶をする関と高山は、もうすでに頭髪の乱れもなくスーツを着用していた。 昨晩は関と同じく高山も深夜まで呑み、夢乃井に宿泊したのである。慣れた手つきでビュッフェスタイルの朝食を皿に盛り付ける高山。ホテルマンである彼が慣れているのは朝食の盛り付けだけではない。高山は同じ夢前町内のホテル、ニューサンピア姫路ゆめさきの総務部長であるが、 時折このように夢乃井に宿泊しており、館内もほぼ把握している。夢乃井の副支配人、大塚とも仲が良い。おそらく彼が夢乃井のフロントに立っても大きな支障はなかろう。

ちなみに彼はこれからサンピアに出勤する。ホテルからホテルへ自在に移動する男・高山。真面目で礼儀正しく酒を好み、他所のホテルの内部まで把握している、生粋のホテルマンである。

朝食後、一行はロビーに集合した。集まったのは、飯塚、今西、石丸、関である。これから、 昨日田んぼで出会った山本弘の案内で酒器作りに使う土を探しに行くのだ。

昨日彼らに不安とインパクトだけを与えた弘は、一体どこへ案内するというのだろうか。行き先は誰も知らない。弘に全振りである。こんな危険な賭けはない。 皆がチェックアウトを済ませたところで山本がロビーに登場した。彼は挨拶もそこそこに、いつもの気さくな調子で言った。

「みんな、ワシの車の後について来てや~。」

そう言い放ち、外に出ると軽快に愛車に乗り込む弘。もう彼の後についていく他に道はない。

(続く)

目次

個性豊かな播磨の神々

日本最古の地誌である播磨国風土記には、個性豊かな神々が登場する。土着の神や、陸を歩いて来た神。海から船で播磨にやって来た神。神々は大地を整え、米を作り酒を呑み、国取り合戦、恋愛や痴話喧嘩など播磨を舞台に人間臭い暮らしを生き生きとやってのけるのである。

播磨は本土の中心に位置し、海もある。よって古来から東西の交易の中継地点であり、様々な人や文化が交流した土地であった。ヤマト王朝や出雲王朝、九州の豪族、外国人。古代の播磨人はある時は対立し、またある時は協力し、血が混ざり合いながら、多様な人や文化を大らかに受け入れて独自の文化を形成してきたのである。播磨国風土記の神々の物語は、そのようなダイナミックな異文化交流を表したものでもあったのであろう。

播磨を生き生きと駆け巡った個性豊かな神々の血は、現代のキャラの濃い播磨人達に脈々と受け継がれているのかもしれない。

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