序 

仕事終りに近づくとふと、今日もあそこで一杯やってから帰ろうかな、などという考えが浮かぶ。惹きつけられてやまない店。コロナ禍で通えなくなってからは、私の酒ライフの大きな歯車が抜け落ちてしまったかのようだ。

仕事後の夜の時間を、気持ちの良いおもてなしで過ごさせてくれるあの店に、また通える日々が待ち遠しい。

さて、そのようにして自分の生活がその店とリンクして、いわゆる常連さんになってゆくわけだが、その過程で一体どんなことが起こっているのだろう。常連さんを生み出すおもてなしとはなんだろうか。

お客様にどうしたらご満足いただけるのだろう。

もう一度予約しようと思っていただけるのだろう。

このことは7年前に東京、恵比寿に日本料理店を開業し、常に考えてきた、いや考えさせられてきたことだ。

飲食業に関わってまだ20年ほどではあるが、その間の体験も踏まえ、おもてなしという言葉に連なる深い世界を少し紐解いて、飲食店側からのまた、一消費者としての私の拙い考えを徒然に綴ってみようと思う。

日本酒と出会う

日本酒の話が出てくるのは唐突に思われるかもしれない。しかし私の食とのつながりの原点であるからお話ししておこうと思う。多くの人が通った道のりであろうこうした経験が、おもてなしにも深く関わっていると思うので。

学生時代を仙台で過ごしていた私は日本酒が好きであった。この日本酒好きが高じて今の仕事をするようになったと言ってもいい。

当時は月のアルバイト代の大半を日本酒に注ぎ込んでいた。

宮城県は酒を飲み始めたばかりの二十歳そこそこの学生にとって素晴らしい場所であった。県で生産される日本酒の約9割が「特定名称酒」(吟醸酒、純米酒、本醸造酒の総称で、それぞれの小分類があり、計八種の名称がある)と言われる高品質な酒なのである。

これは非常にありがたい環境であった。仙台市内のどんな居酒屋に行って、適当に日本酒を頼んだとしても、普通酒(特定名称酒以外の酒)が出てくることはほぼなかった。そうなると最初は気にせず飲んでいた特定名称に目が行くようになる。カテゴリーやそのカテゴリーの中でもお気に入りの銘柄が出てくる。そうするとお店ごとに日本酒のラインナップが違うことが気になってくる。お店ごとのこだわりがメニューを見ることによってわかるようになったのだ。

こうして友人やバイト先の先輩方と色々な店で呑みまくった。「お酒が美味しくて、料理が旨くて、人があったかい店がいいなぁ」。そりゃ当たり前だと突っ込まれそうだが、そんな店が数軒できた。半年程経つと、よく行っていたその数件のうち国分町(仙台の繁華街)にある1軒に行く頻度が高くなっていた。「なんかこの店がいいよね」。理由に無自覚であったがよく足が向く。そのお店はいわゆる海鮮居酒屋というやつだ。個人経営で30人ほどお客さんが入れたように記憶している。宮城県の素晴らしさを享受したのはお酒だけでなく新鮮な海の幸に関してもであった。新鮮な刺身、炭火焼きの魚、初めて食べるホヤなど、日本酒が進むこの上ない上質な肴を学生風情が堪能できるのである(このことは数年後東京へ出てきた時に大変な衝撃であった)。

その店に行ったことのない友人もよく連れて行った。物凄くハマる人と、普通に飲んで食べて楽しんで帰る人がいる。

こうしたことは日常的によくあることではあるけれど、要約すれば以下のようになる。

【その店のコンセプトと自分の欲しているもの(自身のコンセプトと仮に言おう)が合っているかどうか】

色々な要素が相まって店の色が決まり、集まってくるお客様が決まる。お店、お客様双方共に自身のコンセプトへの自覚があるかないかでお店とお客様との関係は以下のようになる。

1お店が自店のコンセプト(≒来て欲しい客層)を自覚客が自分の行きたい店を自覚
2お店が自店のコンセプトを自覚客が自分の行きたい店に無自覚(もしくはどこでもいい)
3お店が自店のコンセプトに無自覚(自店の売りや特徴に無自覚)客が自分の行きたい店を自覚
4お店が自店のコンセプトに無自覚客が自分の行きたい店に無自覚(もしくはどこでもいい)

1の時、お店とお客様との関係は良好であろう。お互いに求めているものを得られているからである。

2の時はお店側が自店を売り込むチャンスを握っていると言える。適当に入った店が予想以上に楽しいと思ってもらえたらまた来てくれるかもしれない。

3と4の時はお店の営業が上向くか下向くかは完全にお客様が主導権を握ることになる。自店の特徴を理解していないので、常に受け身の接客を強いられるからだ。

大半のお客様と1の関係性を築いており、2の関係性のお客様には自店を売り込んでいく。これが営業状態の良いお店だろう。よく、良い店は常連8割、ご新規2割などと言ったりする。上の例を見ればそれは明らかだろうと思う。

自店の強みを客観的に理解しているかいないかは、上記の通り決定的な分水嶺となる。

客の側からしても自分の望んでいることを理解し先回りしてくれる店は居心地が良いだろう。

そしておもてなしをできるお店の状態というものが1と2の場合に限られるのもまた自明のこととなる。

お客様は店より自由である。

自分の財布からお支払いをして終わりだからである。

気に入らなければ次は行かなければよいし、お店のように月の売り上げなど気にする必要がない。なので、お客様が満足する場合ということを考えれば1~4どれでも可能性はある。狙って行って大満足もあれば、目をつぶって振り回したバットに当たりホームランというのもあるだろう。

日本酒を通じて、私はこんなふうに行きたいお店を選ぶようになった。成熟した大人の飲食というものは現在の時代的、文化的背景からすると嗜好品の側面が強い。色々なお酒を飲んで特徴を覚えたり、そのお酒が現在の日本酒業界の中でどんな位置付けにあるのか-お酒だけでなく食べ物についても当然そうだ-を自分なりに理解することがお店と自分の距離を測る上で必須なのである。

私には3歳の息子がいるが、彼に蕗の薹を美味しく食べさせようとしても無駄である。生命維持の飲食を除いて嗜好品としてのそれに限るなら、文化的、時代的な背景を抜きにして単独で美味しいものなどはない。ということはそういったことを楽しむためにはそれなりの訓練が必要だということだ。

お店を運営していく段となって、こうした考えは非常に役に立った。飲食店のおもてなしというものが先人の築き上げてきた大きな土台の上でなされた時に意味があることとなる、ということなのである。

〈著者〉
紀風
店主 / 城田澄風

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