杜氏の記録

東京の旅から1週間が過ぎた。うだるような暑さが続く7月25日の昼下がり、飯塚とホテルマン・高山は、壺坂酒造に来ていた。辨慶(べんけい)を使った酒造りの打ち合わせをするためである。

「杜氏の記録」登場人物紹介

辨慶(べんけい)は約百年前に夢前町で栽培されていた米である。今年はこの米で新しい酒を造るのだが、それに関する当時の情報が非常に少ない。新しい酒造りのヒントになるものがないか、三人は手がかりを探していたのだ。

百年前の米を復刻させるのだから、酒造りに欠かせない酵母(しゅぼ)も百年前のものがないだろうか。そう思案していたところ、江戸時代に建てられた壺坂酒造の酒蔵の古い醸造用具や壁などから酵母が採取できる可能性がある、との情報が入ってきた。壺坂により徹底的に焼却処分されたおかげで多くの貴重な道具を失った壺坂酒造であるが、さすがに壁はあるし、道具もいつくか残っている。いけそうだ。

酵母を採取する場所は、蔵の中でも酒母(米の糖質をアルコールに変えるもの)を造る場所が望ましい。酵母菌採取は百年前に酒母を造っていた蔵の二階、階段横の壁を中心に行うこととなった。

壺坂酒造の蔵の土壁には斜め方向に幾つも溝が掘られているが、これは酵母の付き方をよくするためである。壁に溝があることで酵母菌が蔵全体に安定して付くというのだ。江戸時代に生きた先人の知恵である。蔵は古民家にしては珍しく天井が高い。これは熱気を上に逃すために設計されたもので、真夏日でも蔵内は涼しく温度は二十六度より上がることはない。

蔵の柱は丁寧にカンナがかけてあるが、江戸時代の一般の建物にはこれも非常に珍しいことのようである。柱の組み方から見ても、おそらく高度な技術を持った宮大工が建てたのであろうと言われているが詳細は定かではない。古い民家には必ず当時の図面が残っているはずなのだが、それがないのだという。壺坂家の遠いご先祖が焼却処分したのかもしれない。

他にも酒造りの手がかりになるものはないだろうかと、三人は古い酒造資料に目を通していた。 百年ほど前の資料は和紙を糸で綴じて製本されており、黄ばんだ紙の色は年月の経過を物語る。昭和初期に壺坂酒造の杜氏が記したもので、表紙のタイトルは全て手書きの筆文字で書かれている。壺坂酒造代々の杜氏が認めたであろう記録からは、職人の意気が感じられるようだ。

飯塚は昭和3年に書かれた「麹製造経過表」を手に取り、何気なくパラパラとページをめくっていたが、資料のある記載に目が釘付けになった。

「壺坂さん、高山さん、これ、見てください!」

資料には昭和3年の醸造の工程と時期、仕込み量などが表になって記されていた。その中の「米 ノ種類」という項目に鉛筆の手書き文字で「ベンケイ」と記されていたのである。

確証がとれた。やはり壺坂酒造でも辨慶による酒造りが行われていたのだ。さらに、壺坂によるとこの記録を読めば当時どのように酒造したのかだいたいのことが分かるらしい。

「スゲー! 見つかった!」

酒米の記録が見つかり大喜びの飯塚。実は彼はここに来る直前たらふく昼ご飯を食べており、そんな後で難しそうな資料を見せられたがために、勉強が苦手な中学生の午後の授業のごとく一人睡魔と戦っていたのである。規律正しい学級委員長のような高山が横で真面目に資料を読みふけっているため、うっかり居眠りなどできない。涼しげにワイシャツを着こなした高山の隣で、 飯塚の黒いシャツは汗に滲み、細い目を何とか見開いて一生懸命教科書、いや醸造資料を読むフリをしていたのである。それが嬉しい発見により一気に目覚めたのであった。

飯塚が騒がしく喜んでいる間にも、壺坂は少年のように目を輝かせて資料を一心に見つめてい た。他の者には何が書かれているのか詳細まではわからないが、杜氏にとっては何にも代えがたい発見だったのであろう。

壺坂酒造の百年前の杜氏が記録を書き残してくれたお陰で、辨慶の酒造りが一歩前進した。昭和初期に活躍した杜氏は、自分の書き残した記録が百年後の酒造りに役立つと思いを馳せたことはあっただろうか──。壺坂酒造の古い文献は今もなお活力がある。杜氏の記録は古と今を鮮やかに結んだのだ。

昭和9年の壺坂家記念写真
目次

辨慶と弁慶

辨慶と聞いて真っ先に思い出すのは歴史上の有名人、武蔵坊弁慶であろう。実は弁慶は夢前町と縁が深い。
弁慶は若い頃、夢前町に隣接する書寫山圓教寺(しょしゃざんえんきょうじ)で修行をしていた。しかしながら暴れ者だった弁慶は、同胞の僧と喧嘩をして書寫全山を焼き尽くしてしまったという。圓教寺には弁慶の机やお手玉石など弁慶伝説ゆかりのものが今も残されている。また、書寫山のすぐ近くにある夢前町の北野神社には「弁慶の母の墓」と伝えられている墓石がある。弁慶の母は修行中の息子に会 いに夢前を訪れたが、この地で急逝し北野神社に墓が建てられたのだ。その墓石を削って飲めば 病が治るという言い伝えがあり、長年多くの人に削られた石はすっかり丸くなって今も静かに神社の片隅に鎮座している。

SHARE
  • URLをコピーしました!
目次