夢前に集う(3)

壺坂酒造で宴を楽しんだ後、彼らは夢前町の塩田温泉湯元である上山旅館へと向かった。

塩田温泉の歴史は古く、発見されたのは奈良時代と言われている。江戸時代の文献には『丹波、但州、 摂津、備前、四国地方より多数の湯治客ありて諸病の全治せしこと(中略)自然の力、偉なる哉』 とある。上山旅館は鄙びた風情で江戸時代より湯治客に愛されており、昔ながらの湯元を守り続けているのだ。

館内は華やかさや派手さはないものの落ち着いた風情があり、敷地内の庭園は四季折々の素朴な花木が美しい。自然に囲まれた野趣あふれる野天風呂は、あえてろ過をせず濃い源泉の成分をそのまま使用している。泉質は炭酸重曹弱食塩泉で、胃腸や痛風に良いとされ、かつては一日一 升も飲まれていたという。愛媛のギャラリーラボの宴でも振る舞われたお粥「湯壺がゆ」はこの源泉を使って作られている。

塩田温泉の情緒ある露天風呂を楽しんだ後、夕食はまた皆でお酒を堪能する。

杜氏の壺坂は遠方から来たゲストのために、せっかくだからと壺坂酒造以外の播磨のお酒も用意していた。播磨は米処であり酒蔵も多いのだが、酒蔵同士がとても仲が良い。彼は播磨の日本酒全体が盛り上がるように、いつも酒蔵仲間との繋がりを大切にしているのだ。

夕食を楽しみながら、今後の酒造りのことや杜氏としての思い、農家の考えが語られ、それぞれのプロ達からアドバイスが飛び交う。酔を楽しみながら、人と語り合う喜び。お酒は生きることを味わうものでもある。皆は心ゆくまで呑みながら、夜もすがら熱く語り、親交を深めるのであった。

次の日、一行は上山旅館の朝食「湯壺がゆ」でお腹をリフレッシュさせた後、壺坂酒造の酒蔵農家レストラン且緩々、雪彦山を臨む賀野神社など名所を巡って、春の夢前町を楽しんだ。

今回夢前に初めて訪れたという作詞家の波たかしと、女優歌手の松原愛は横浜在住の仲睦まじい夫婦である。城田と宮下、荒巻は東京在住であり、関東勢が多い。遠方にもかかわらず兵庫の田舎まで出向き、夢前で同じ時を過ごしたことには大いに意義があると彼らは感じていたようだ。

有名歌手の作詞も手がける波たかしは「夢前町は人と人を引き合わせる町なのではないか。」 と我々に語ってくれた。播磨日本酒プロジェクトのお酒は、杜氏、農家、そして業種を超えた様々な人が関わって造られる。昨年から陶芸家の今西が加わり、さらに人と人が引き合いプロジェクトの活動が広がった。

この一年、播磨日本酒プロジェクトはお酒を通して多くの人と繋がり、学びを得ることができた。今回夢前に集まったプロフェッショナル達からの刺激も然り。壺坂と飯塚は彼らとの交流によりまた一つ大きくなり、五年目の酒造りへと邁進していくのである。

夢前の二日間の旅が終わり、ともに過ごした仲間達はそれぞれの拠点へと帰っていった。

壺坂酒造には今西が作陶した数十個の酒器が残されていた。一ヶ月後には播磨日本酒プロジェクトの新酒お披露目会が開催されるのだが、その日のために今西が置いていったのである。

皆が帰り、静かになった壺坂酒造で、社長の壺坂正昭は酒器をゆっくりと眺めていた。壺坂正昭は数年前に体調を崩してからはほとんど表に出てこないが、息子の壺坂良昭とは違い、現役の頃は大酒豪で姫路の夜の街を大勢の知人後輩を引き連れて練り歩き、夢前の御三家として恐れられた大人物である。

壺坂社長に、飯塚の田土と夢前の山の土を元に丹波焼の陶芸家が作った酒器であることを説明すると、彼は目を細めて酒器を仔細に眺め、静かに微笑んだ。

陶器愛好家には良く知られていることであるが、できたばかりの酒器は酒が漏れる。酒を注ぎ使い続けることで酒器は育ち、漏れることもなくなってくる。使って育てることが酒器の醍醐味でもあるのだ。社長に出来上がったばかりでまだ酒が漏れること。四月の新酒お披露目会でこの酒器を使う予定であることを話すと、彼は酒器を手に取りながら静かに頷いた──。

後日、杜氏の壺坂から「親父が今西さんの酒器に酒を入れたりお茶を入れたり色々やっとったんです。」との知らせを受けた。壺坂社長は来月の新酒お披露目会のために今西の酒器を育てていたのだ。

(続く)

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