夢前に集う(1)

3月17日、春風とともに姫路駅の新幹線ホームに一人の男が降り立った。すらりとした背格好に爽やかな笑顔、颯爽とホームを歩く男の後ろ姿は澄み渡る風のようである。そして背中に背負った大きなバッグには、使い込んだ銅鍋が爽やかにくくり付けられてあった──。東京恵比寿の地で日本料理店「紀風」を構える料理人・城田澄風である。

彼は昨年の夏に夢前を訪れた際に、 山本弘と交わした「山菜の季節になったら天婦羅鍋を持って再び夢前に来る」という約束を守り、 姫路に鍋を持ってやって来たのであった。

城田は姫路駅前から車に乗り込んだ。北へ北へと走るうちに建物は少なくなり、野山や田畑が広がる夢前町へと入っていく。山はまだ灰色であるが、県道の端には菜の花が咲き乱れ、春の穏やかな景色が広がっている。さらに北へ進んで彼は半年ぶりとなる壺坂酒造へと辿り着いたので あった。

正午になる少し前、壺坂酒造にはすでに多くの人が集まっていた。築200年の古民家の座敷に思い思いに座り、話に花を咲かせている。

播磨日本酒プロジェクトは立ち上げから4年が経過し、次の初夏の田植えから5年目に突入する。この節目となる5年目をより発展した有意義な活動とするため、全国各地からプロフェッショナル達が集まったのである。 座敷には飯塚、壺坂、今西、城田、山本、神﨑、福岡、石井精肉店の石井、今西の知人である日本料理店「ふしきの」の店主・宮下と料理長・荒巻、全日本音楽著作家協会副会長の波たかし、 女優歌手作詞作曲津軽三味線奏者の松原愛、ほか多くの関係者が集って非常に賑やかであった。

この場に集められた食材も、播磨の海の幸山の幸が揃って賑やかである。新子(しんこ)に海鼠(なまこ)、烏賊(ほたるいか)、白鷺サーモン、山本弘が採ってきたセリにノビル、蕗の薹、神﨑が作った春野菜、石井精肉店の猪肉に夢前町の玉子、且緩々のハーブティー、姫路の鮨屋の大将が作ったオイルサーディンに、兵庫県相生産の牡蠣のオイル漬け、そして飯塚が育てた山田錦とヒノヒカリである。

座敷の真ん中のテーブルには無色透明の細い酒瓶と、白と黒のぐい呑みと片口が並べられていた。皆がこの一年待ちに待った、酒米・辨慶(べんけい)の新酒と、夢前の土で作られた酒器である。

壺坂がお酒と酒器が並べられたテーブルの前に立ち、新酒の紹介を始めた。夢前町で100年前に栽培されていた幻の酒米・辨慶の種籾が兵庫県の試験場にわずか700グラム残されており、それを飯塚が見事に育てあげたこと。壺坂酒造の100年前の酒造桶から発見された蔵付き酵母菌を使用したこと。約100年前の杜氏の醸造資料を参考に、試行錯誤の末とうとう新しいお酒が完成したこと──。

100年前の酒米と酵母菌、100年前の杜氏の酒造記録、そして現代を生きる農家と杜氏。100年の時を超えて人と人、人と物が互いに呼応し、気脈を通じて出来上がったこの日本酒は 「呼應(こおう)一〇〇年」と名付けられた。

そして今西が作陶した、飯塚の田んぼの土と夢前の山の土で作った酒器の試作が紹介された。 まだこの段階では酒米の釉薬は使っておらず、今西が思う完成型ではない。だが窯から取り出したばかりの十数個の白と黒の酒器を今西はこの日のために持参したのであった。

一同は酒器を手に取りながら、感慨深げに一つひとつを眺めていた。壺坂が呼應一〇〇年の瓶を開けて片口にとくとくと注ぐ。今西が片口を手に、銘々のぐい呑みにお酒を注ぐ。夢前の土で作った酒器で夢前の酒を呑む、待ちに待った瞬間である。

皆は酒器を傾け乾杯をした。お酒と酒器が出来上がるまでには様々なドラマがあった。夢前の 歴史を学び、田んぼで土を掘り、東京へ行き、雪彦山を登り、その都度皆で酒を酌み交わしてきた。それぞれの思い出を胸に味わうお酒は、旨い。何よりも心に沁み入るものがあり、そして豊かに満たすものであった。

(続く)

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