東京から来た料理人(5)

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人と人が出会う土地・播磨

風土記とは八世紀初頭に地方の状況を把握するために全国各地で編纂され、中央に提出された
公文書である。元々は数十ヶ国分あったと考えられるが、現存するのは出雲(いずも)、常陸(ひたち)、肥前(ひぜん)、豊後(ぶんご)、播磨(はりま)の五ヶ国のみである。

風土記には、特産品や土壌の様子、地名の由来や伝承を記載することが求められ、この要請を受けて各国が編纂をするのであるが当然のごとく国によって個性が出てくる。 兵庫県南西部の播磨国風土記(はりまのくにふどき)が他の風土記と異なる点は「よそ者(神)がやって来てあれやこれやと事件が起こった」そんな記載が圧倒的に多いことである。

播磨は本土の中央にあり海とも接している。各地から人が訪れ、交易が盛んな活気溢れる土地であった。故に播磨国風土記も人々の交流についての内容が多いのである。 神代の頃から様々な土地の人(神)が播磨を訪れていたのだ。

もちろん歴史時代になってからも人はあらゆる地域からやってくる。飛鳥・奈良時代には渡来系と言われる秦氏一族が、鎌倉から室町時代には東の巨大一族梶原氏を始めとした関東人が大勢移住して住み着いた。河内や奥州、 山陰からも多くの武士が流入しては土着している。播磨は東西南北ありとあらゆる血が混じった 超混血民族なのだ。

よそ者が来ると当然のごとく対立もある。血気盛んな播磨人は大昔から喧嘩が絶えなかったこ とが播磨国風土記にはありありと記されている。だがそんな交流を古代からやってきた播磨人だからこそ、他者を受け入れる懐の深さも兼ね備えているのだ。

播磨日本酒プロジェクトには小澤をはじめとした播磨人はもちろんのこと、遠く関東にも仲間 がいる。そして陶芸家の今西は丹波から、料理人の城田は東京から、海外撮影の多い石丸は諸外国からエールを送ってくれている。各地の酒好き達によってこのプロジェクトは支えられているのだ。

城田が夢前へ来るきっかけとなった「愛山1801」のラベルは1801の部分が絡み合っている。これは多くの個性豊かな仲間達の手と、厚い信頼や交流によって生まれたお酒であることを表しているのだ。

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