流離いのクリエイター(雪彦山篇 2)

登山道はいきなり下り坂であった。急勾配の坂を下ると、ほどなくして平坦な山道に辿り着く。 凹凸もさほどない歩きやすい一本道である。これぐらいなら山道に不慣れな者でもいけそうだ。 今しがた降りてきた坂を見上げると登山口は遥か上にあり、もはや道路は全く見えず山の木が整然と並んでいる。三人は真っ直ぐに立ち並ぶ木々に挟まれた細い山道を歩いていった。

山本は先頭に立って歩きながら、いつものように目に付いた植物について教えてくれる。ゆるやかな傾斜で比較的歩きやすい山道であるが、ところどころで倒木が道を遮る。兵庫県自然保護協会理事姫路支部長でもある山本は、斜めに倒れかかっている大木の下を通りながら呟いた。

「この辺り、間伐せなあかんのやけどなあ。」

自然を愛する山男は山の手入れも重要な仕事なのだ。

岡は山道でも気になるポイントを撮影しながら歩を進めている。これぐらいの登山であれば、ちょっとした森林浴も楽しみながらの軽い散歩と言えよう。

「あ、あそこらへんは遭難者ポイントですよ!ああいう大木とか岩の影に転がってるんですよ ね~、遭難者が。」

地域活動で雪彦山遭難者救助を行う壺坂が、斜面にどっしりと根を張っている大木を指差しな がら軽い調子でリアルな発言をする。そう、ここは入り口の看板にも書かれていたように油断ができない山なのだ。森林浴の散歩道などではない。軽装なんてもっての外。普通のシャツに普通のズボン、普通の靴なんかでこの道を歩いてはいけない。

緩やかな山道が少し急な登り坂になる。それを越えると少し開けた場所に出た。これまで木々に遮られて見えなかった空が急に顔を出して、ここだけ明るい日差しに包まれている。山道の片側は崖のような急斜面になっており、その下には川が流れ、上を見上げれば雪彦山の険しい岩山が頑然とそびえ立っているのが見える。清流の音が心地よく清々しい場所である。ここがゴール地点なのであろう。当初は心配させられたが今回はちょうど良い山歩きであった。山本弘はやはり優れた山の専門家である。

その時、弘が川へと続く崖のような急斜面を指差しながら、軽やかな調子で皆に宣言した。

山は充分堪能したし、マイナスイオンもたっぷり浴びた。もういいんだ、弘……。そんな言葉
にならない思いは弘の頭上をさらりと通りすぎ、かすりもしない。彼は切り立った急斜面をバッグを片手に持ちながらひょいひょいと降りていく。登山は危険を伴うため荷物は背負って両手を空けておく、そんな山の一般常識も一般でない弘には適用しない。彼にとってこんな崖はちょっとした散歩道なのであろう。そう、山本弘にとってこの登山ルートは「気軽に山を楽しめる安全な散歩道」なのだ。彼はいつも我々の要求を見事に汲み取って案内してくれる。ただ弘と我々の間にはほんの少し認識の違いがある。ただそれだけのことなのであろう──。

崖を降りるとごつごつとした岩場となっており、岩の間を清水が荒々しく音を立てて右へ左へ
ぶつかりながら流れていた。冷たい水しぶきを足元に浴びながら岩を飛び越え沢を渡る。その後は清流沿いに岩場を上へと登っていく。険しい道のりの合間に弘の植物講話がちょくちょく挟まれる。頭も体もフル回転である。

大きな岩石を横目にしつつ清流沿いに岩場を登っていくと、目の前に滝壺が現れた。雪彦山の
名所の一つ、虹ヶ滝である。

硬い岩盤の道を荒々しく滑り落ちて滝壺に流れ込む水には、里の川のような優しさはない。情感をそぎ落としたようなきっぱりとした透明である。その清々しさに今までの疲れもスッキリ流れていくようだ。山本弘はこの素晴らしい名所を岡に見せたかったのだ。ここがゴールなのであろう──。

そんな安堵の思いを、弘は清流のような清々しい一言でぶった切った。


山に心ゆるびなきなむ、わびしけれども道は続く。

(続く)

イワタバコ(岩煙草)産後の肥立ちの悪い時に乾燥させて煎じて飲むといいらしい。

※雪彦登山は山の専門家・山本の指導の元、雪彦山遭難救助の訓練を受けた地元の壺坂も同行しています。雪彦登山は万全の備えをしてから挑みましょう。

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