今西公彦展(3)

『酒器と酒の会』が盛況のうちに幕を閉じた翌日、ギャラリーラボで今西公彦展2日目が始まっ た。朝から客足が絶えず、昨晩『酒器と酒の会』に参加して早速酒器を買いに来廊したお客様もいた。気になる酒器や器を手に取りながら陶芸談義が穏やかに交わされている。そんな冬の柔らかな日差しが店内に差し込む午前11時頃、ギャラリーの玄関扉を弱々しく開けて入ってきた人物がいた。土気色の顔をした陶芸家・今西である。

ふらふらとギャラリー内へと入り椅子に腰掛けた今西。彼は悟りを開いた僧のごとく、静かに名言を発した。酒を愛する彼の言葉は、多くの酒呑みにとって熱く深く、胸に響くであろう。

〈 陶芸家・今西公彦の金言 〉
酒はいつも、反省を伴う。

後日、ギャラリーラボへ『酒器と酒の会』がとても楽しかったとのお礼の電話がたくさん寄せられたという。ギャラリーラボの器と洗練された会場、陶磁を愛するお客様との交流によって素晴らしい会となり、我々にとっても勉強となった一日であった。

今回、塩田温泉の温泉水と湯壺がゆのレシピを提供した上山旅館の社長・上山は、かつて夢前町に存在した置塩城の歴史について詳しい。彼は戦国時代において置塩城で催された尋常でない宴会模様について語ってくれた。それは次のような話である。

目次

酒豪揃い! 驚きの戦国宴会模様

夢前町にはかつて置塩城という山城があった。播磨地域一帯を支配した名だたる武家・赤松氏が城主として君臨していたのである。その置塩城で台所方を勤めていた家臣が城の宴席料理を記した「播州置塩夜話」という史料がある。そこには戦国の世に催された宴会の様子がありありと記されているのだ。

宴席には刺身に鴨汁、サザエの壺炒り、鮭、蒲鉾、海老、雲丹、玉子のふわふわ、鱈のすまし 汁、熊の手、うずらの焼き鳥に鮎の寿司など、海の幸山の幸を贅沢に使ったご馳走が並んでいた。 お酒は日本酒だけでなく薬用酒や赤ワインまでもが出されていたようである。そして食事が一通り終わると本格的な酒宴(二次会)が始まる。

酒と肴が存分に用意される中、謡や舞、笛、福引なども行われ、宴は非常に盛り上がったようだ。お酒は飲み放題、当時の武家社会の非常に厳しい身分制度も無礼講となり、君臣ともに面白おかしく宴会に興じたと記録には残っている。

播州置塩夜話には各家臣の飲んだ酒の総量も明確に記されており、12人でなんと6斗6升も呑んだらしい。当時のお酒はアルコール度数が低かったと言われているが、それにしても一晩たったの12人で1升瓶66本分空けるとは尋常ではない。水でもキツイ。そして3升ほどで倒れた家臣については「酒不得手」との記載が見られる。 3升で下戸扱いなのだ。

当時どこからこの大量の酒が集まったのか。彼らは何故ここまで呑んだのか。様々な疑問が頭をよぎるが、唯一つ確実に言えることがある。播磨のご先祖は命を賭して群雄割拠の戦国時代を生き抜いたように、宴席にも本気で挑み、身分の上下を超えて真剣に今に遊んだのだ。 我々の宴席などは、播磨のご先祖から見たら子どものままごとのようなものかもしれない。酒量については真似をしてはならないが、当時の宴席は生きることに対する突き抜けた力強さと快 活な生き様を我々に教えてくれるのである。

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