米が酒に、土が器に(1)

「皆さん、ギャラリーラボではありがとうございました! 忙しいなか大変お疲れ様でした。厚く御礼申し上げます! 来てくださったお客様、ギャラリーラボの皆様に大変喜んでいただきました。播磨チームのプロの仕事に興味を持っていただいています。播磨チームの皆さんの出口は色々あると思いますが、そこに向かって歩いていく原動力は人との出会い、そしてそこでの感動の共有が大切であると改めて感じました。自身も気合を入れ直して励みます。これからもよろしくお願いいたします! 」

ギャラリーラボの「今西公彦展」が終わった後、播磨日本酒プロジェクトのライングループに、今西から熱いメッセージが入った。今西自身、実りのある個展であったのであろう。しかしながら気合を入れ直して励まなければならない人物は他にいる。米農家の飯塚と杜氏の壺坂である。

杜氏の壺坂(左)と農家の飯塚

昨年12月に今西から藁灰の焼き方を教わっていた飯塚は、年が明けて1月、田んぼ一面に残しておいた大量の藁を炎を巻き上げ盛大に焼き上げた。堂々たる炎を前にして満足気な表情を浮かべる飯塚。自分が育てた稲が酒器の材料となるのだ、楽しみで仕方がない。逸る気持ちは大きな炎となって稲藁を豪快に燃やすのであった。

灰を掻き集めて意気揚々と今西の元へ届けた飯塚。だが、今西は彼が差し出した灰を一目見るなり渋い顔で言い放った。

どうやら勢いよく焼き過ぎて釉薬としては半分ほどしか使えないらしい。あの時焼き過ぎないように注意しろと手に火傷を負いながら説明した今西の忠告は、飯塚にはちょうど稲藁半分程しか伝わらなかったようである。

このままでは釉薬が足りない。そこで酒米の籾殻を代用することになった。籾殻でも焼き過ぎないように上手く灰になれば釉薬として十分使えるのだという。

こうして、飯塚は天候を見ながら灰の焼き直しをすることとなった。まもなく酒器は窯に入れられる。急がなければならない。

(続く)

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