東京から来た料理人(3)

且緩々(しゃかんかん)に戻ると、山本弘はすでに到着していた。且緩々の中はレストランの手前にロビーがあり、彼はここでコーヒーと一緒にお菓子を食べながら喫茶店さながらにくつろいでいた。お茶はロビーで誰もが飲めるようにサービスで置いているのだが、このコーヒーとお菓子はどこから失敬してきたのだろうか、どう見てもサービス品ではない。堂々たる無銭飲食である。しかしながら山本はこの辺りでは自然に詳しい大先生で且緩々でしばしば講師も務めている。このような天然の所業も弘だから許されるのであろう。

城田は気さくな山本とすぐに打ち解け、さっそく実物の臭木(くさぎ)を見に行くことになった。臭木が生えている場所はここから歩いて行けるらしい。さすが山本弘、夢前町の植物のことならどこに何があるか彼の頭には全て記憶されているのだ。

「ほな行こかっ、歩いてすぐやから。」

いつもの軽快な調子で立ち上がった弘を見て、ふと四月の土探しの情景が脳裏をよぎる。「歩いてすぐ」「きれいな道を歩くだけ」そんな弘の言葉を信じてついていった結果、倒木だらけの荒れた山道を通って山の奥まで連行されたあの記憶が蘇る。

弘を信用して本当に大丈夫なのだろうか……。

且緩々を出ると、山本と城田と関は県道を北へと歩いて行った。道の端には夏の盛りに伸びきった草や木々が所狭しと茂っており、山本は目に付いた草木の名前や特徴を解説しながら、夏の終わりの田舎道をのんびりと歩いていった。 且緩々から歩くこと15分、山本は道の脇に生えている背丈より高い木を指差しながら言った。

「あれが臭木や!」

臭木の実

山本は臭木の枝を取って城田に渡した。臭木の葉は子どもの手の平ほどの大きさで柔らかい。 葉と一緒に色鮮やかな小さな赤いガクを幾つも付けており、その中にはこれまた鮮やかなピー コックグリーンの実を抱えていた。臭木心なしといえども花実の時をたがえず、その名からは連想しがたい見事な果実である。

くさぎめしは春の若葉だけを使い、夏の葉は食べないらしい。しかしながら初めて見る臭木の葉に、城田は目を輝かせながら、葉をちぎったり、口に入れたりしてその性質を五感で確かめていた。

臭木を見つけた後も、山本は道端の野草を紹介しながらどんどん歩いていく。県道を歩いているだけなのだが、次から次へと山本の口から植物の知識が飛び出す。こんなにも色んな植物が身近にあったのかと改めて驚かされる。お茶の実、たらの木、マタタビ、花筏(はないかだ)、葛の葉、キササゲ、クロモジ、シラキ、クマノミズキ、見返り草。料亭に使われるような高級食材もこのような車道の脇に普通に見られる。

自然は、すごい。奥深くて魅力に満ち溢れている。我々の身近に四季折々に色や性質を変えて、個性豊かに息づいているのだ。

且緩々を出て40分は歩いただろうか。弘の足と知識は止まる気配がない。もうそろそろ引き返してもいいのではないだろうか。足もいい具合にくたびれてきた。

「もうちょっと行こかっ。えぇのがあるんや。」

そう笑顔で話しマイペースに歩く弘を見るにつけ、またもや四月の里山歩きが脳裏をよぎる。 あの時は「きれいな道だから服装は特別気にしなくていい。」という弘の言葉を信じて関はスーツに革靴を履いており、大変な目に遭った。そして今日、関はまたもや革靴である──。

この日、多くの植物の知識を得るとともに「弘の法則」が発見された。

山本弘による「臭木を見つける会」は、日が傾き始めた頃にようやく終わった。長距離ウォーキングによる疲労感は否めないが、臭木について収穫があったことは素直に喜ぶべきであろう。 城田も疲れを見せながらも満足そうである。何より弘の憎めない明るいキャラクターに魅せられたようだ。あれだけ予想外に歩かされたにもかかわらず、後日東京に帰ってからも「弘さんと山歩きしたい」と連絡があったほどだ。

「あんた料理人やろ? 鍋と油持って来て天婦羅して食べたら最高やけどなあ!」

軽い調子で城田に話しかける山本。彼は城田が東京でミシュラン星を獲得する一流料理店の板長であることを知っている。けれどもミシュランが何であるかは知らない。いや、知っていたとしても弘は臆することなくこのようなとんでもない提案をさらりとしていたであろう。色んな意味で恐るべし、夢前の自然を愛する男。そんな自然体の弘に城田は爽やかな笑顔で答えた。

「今度は山菜の季節に鍋を持ってきて、ここで天婦羅をしますよ!」

城田は弘と約束を交わして且緩々を後にした。予想外の時間を過ごしてしまった二人は、足早に次の目的地である壺坂酒造へと向かうのであった。

(続く)

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