弘の里山

「弘の里山」登場人物紹介

夢乃井から車に乗り込んだ一行は、先頭を走る山本弘の車の後をついて走った。五分も経たないうちに、山本の車はとある企業の敷地内と思しき場所へ入っていく。

(ここは関係者以外は入っていい所なのか?) そんな思いが脳裏をよぎる一行の不安もよそに、山本の車はどんどん奥へと侵入していく。進むにつれて緑が多くなる。どうやら敷地の奥は山林となっているようだ。山に入る手前の細い道で山本の車は停まった。車から降りた彼は「皆もここに停めろ」と身振り手振りで合図をする。先の読めない不安を胸に抱きながらも、彼に従うしかない。ここから先、彼らは自然を愛する山男・山本弘のテリトリーに入っていくことになるのだ。

車を降りた一行は、踏み慣らされた小径を通って山に入っていった。四月半ばは爽やかな山気が心地よい。山本によると、ここは一昔前まで地元の人々が利用していた里山なのだという。かつてはこの山で薪や落ち葉を拾い集め四季折々に木の実や山菜を採り、日々の糧としていたのであろう。しかしながら今、この里山に入るのは山本しかいないという。それを裏付けるかのように山の道はあちらこちらで倒木が邪魔をして、一行の足を遅らせていた。

苦戦を強いられたのは大学名誉教授の関である。彼は事前に山に行くことは知らされていたが、飯塚から「山本さん曰く、小川の横のきれいな道を歩くだけなので服装は特に気にしなくていいらしい。」と聞いていたので、いつものスーツに革靴である。確かに、道の横には小川が流れているが、見る限り荒れた山道である。所々で小川の水が侵入してぬかるんでおり、きれいな道とは到底言い難い。ましてやスーツに革靴などで歩く道ではない。

慣れた山道を軽やかに進む山本を先頭に、革靴を濡らしながら倒木を必死にまたぐスーツの関を殿(しんがり)に、一行は山道を奥へ奥へと進んでいった。

しばらく歩いたところで、不意に山本が立ち止まった。

「この辺はどうやろか。」

山道の端にあるぬかるんだ土を指差しながら山本が言った。

「……あぁ、……はい。」

今西の反応は鈍い。器に使う土とはほど遠いのであろうことが表情からありありと読みとれる。しかしここまで案内してもらった山本の手前、何もしないわけにはいかない。今西は袋を取り出すとぬかるんだ土を少し入れた。

さらに山奥に進み、山本がおすすめする第二ポイントでも今西は土を少しばかり採った。今西の反応はやはり薄い……。

土が陶土に適するかどうかなど、今西以外はさっぱりわからない。故に山本を責めてはいけない。彼は自然を愛する山男であって陶芸家ではないのだ。わかってはいるが心はモヤモヤする。弘よ、大丈夫か。

歩を進めるにつれて緑は深くなり、陽は木々に遮られて辺りはうす暗くなっていく。山道の脇の少し開けた空間に、一行は大きな石をいくつも積み上げた窯のようなものを発見した。

石は崩れて枯れ草に埋もれかけている。それは使われなくなった炭焼き窯であった。炭は昔の生活には 欠かせない貴重な燃料である。当時は頻繁に利用されていたのであろうことが、未だほんの僅かに残る人の気配からも窺い知れる。ここは人を拒絶するような険しい山ではないが、家族で訪れる登山道ほどの気安さもない。かつて人々と生活の苦楽をともにし、今は忘れられた里山なのだ。

炭焼き窯

山に入ってどれくらい歩いたであろうか。ぬかるんだ道は歩きにくく土も見つからない。皆のテンションはやや下がり気味になっていた。もうこの山では土は見つからないのだろうか。そんな諦めムードが漂い始めたところで、山本おすすめの第三ポイントに到着した。小川の側に見上げるほど高い崖があり、そこが少し崩れて薄茶色の土肌が露わになっている。その土肌の前に立った瞬間、今西の目がキラリと光る。彼はここに来て初めて好感触を見せた。

「これはイケる!」

ショベルで土を掘り出し、土を触って確認する今西。良い土のようだ。今までの気だるい雰囲気はどこ吹く風、今西は急に元気を取り戻し張り切って土を掘り出し始めた。彼が納得できる土がここまで来てやっと見つかったのだ。ほぉっと安堵の息をつく一行。三箇所目でやっと出会えたこの土を、今西は山本弘への敬愛の意を込めて「弘三号」と命名した。

地盤は脆く、少し触るだけで土がホロホロと崩れ落ちる。

「えぇやーん!」

興奮する今西。対してその他のメンバーは、土の発見自体は嬉しいものの土の良し悪しは分からないため、一人盛り上がる今西とイマイチ感動を分かちあえない。ただただ山肌にへばりつく陶芸家を見守るばかりである。そんな温度差に気付きもせず今西は叫んだ。

「袋とって〜!」

飯塚から袋を受け取った今西は、勢いよく袋の中に土を入れだした。土肌に少しショベルを入れるだけで土は簡単に崩れ、今西が拾いきれなかった土塊が急斜面を幾つも転がり落ちて、関の革靴でぶつかり止まる。転がり落ちる土も惜しんで今西がまた叫ぶ。

「落ちたやつも拾ってー!」

山肌に嬉々として土と戯れるテンション高めの陶芸家、転がり落ちた土を拾い集める農家。その様子を淡々とカメラに収める写真家──。
人気のない山奥で、今西の気が済むまで男達のシュールな作業は続けられたのであった。

土を集める今西を待つ間、関は山本の植物の話に耳を傾けていた。

「あそこにコシアブラが見えるやろう、あれ旨いんや!」

そう山本が言って指差す先は、素人目にはただ差し交わす新緑の連続にしか見えない。山本が言うコシアブラは山菜の女王とも言われる高級食材である。山本は茂みへ近づくと、コシアブラだという高い木を上手くしならせて先端に生えている柔らかそうな葉を造作もなく摘み取っていく。素人にはとても真似ができない。そもそも見つけることすらできそうにない。

山本は道を歩きながら、目に付く様々な植物について教えてくれていた。食べられる山菜、鉢植えにすると美しい野草。植物に関する彼の話は尽きることがない。次から次へと豊富な知識が溢れ出てくる。彼は地元の生態系を知り尽くしており、どこにどんな植物が生えるのかを全て把握し、頭に記憶しているのだ。

山本は夢前の自然について誰よりも熟知しているが、それを書き残すことは絶対にしないという。心ない人に知られると山の希少な動植物が根こそぎ持っていかれるからだ。それ故、彼は全てを頭の中に納めている。自然を愛する彼は、自然との付き合い方も当然心得ている。だからこそ、自然を自身の一部と考えない現代のやり方に疑問を持ち、警鐘を鳴らし続けてもいるのだ。

山本弘、彼は間違いなく尊敬に値する素晴らしい自然のスペシャリストなのである。

土を採り終えた今西が満足気な笑みを浮かべて戻ってきた。山本は彼にコシアブラの枝を見せながら言った。

「これ、アンタ持って帰ったらええわ。」

「えぇっ、ありがとうございます!」

思わぬお土産ができて顔がほころぶ今西。この瞬間、今西の今宵の酒肴は天婦羅に決まった。

土袋を担ぎながらの帰り道で意外な事実が発覚した。写真家の石丸は、某有名洋菓子店の専属カメラマンでもあるのだが、そこの洋菓子に使われている材料の植物はなんと山本が採取したものだったらしい。思いもよらない繋がりに石丸は驚いたと同時に、この気さくな山男に親近感を覚えた。

「今度そのお菓子を山本さんに送ります!」

そう言う石丸に、山本は「ぜひ!」と軽快に答えた。都会に住む若い写真家と、田舎に暮らす初老の山男。普通に暮らしていたら出会うことがなかったであろう二人は、心を通わせながら山道をともに歩くのであった。

(続く)

※土の採取には専門家と地元の許可を取り、土の採取法を熟知した陶芸家が行っています。

目次

人と自然の境界線・里山

今も豊かな自然が残る夢前町ではあるが、手入れをしなくなった里山は数多く存在する。里山はひと昔前までは生活の糧を得る場所であり、野生動物と人里の境界線の役割も果たしていた。 里山が機能しなくなった今、夢前町でも農作物への獣害被害が年々増している。播磨国風土記が 編纂された頃よりもさらに昔、神代と言われる頃から受け継いできたこの自然を次の世代へと確 実に受け継ぐことも、現代の播磨人の大事な仕事ではなかろうか。

その昔、応神天皇がこの地で狩りをしている時に射目(いめ・狩人の意)が川べりに立ったことから、夢前(ゆめさき)川の名が付いた。応神天皇が夢前を訪れたその時代、人も動植物も播磨の大自然の中で生き生きと力強く命を躍動させていたのであろう。

里山ではクロモジの木も見つけました。つまようじの原材料にもなり良い香りがします。

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