大橋のり〈海苔の養殖〉

秋、淡路島の五色浜にある鳥飼漁港では、海苔の養殖の準備が始められていた。

海苔は店に行けば一年中売られている。味付け海苔や巻き寿司用の大判海苔などいつでも手に入るため、海苔の旬を知らない人も多い。海苔の旬は冬。冷たい海の波にもまれて育つのだ。

鳥飼漁港の大橋水産では、毎年10月頃から海苔の養殖の準備が始まる。

目次

養殖場の基礎作り

海苔の養殖は土台作りから。10月になると、漁師は海苔を育てる網を張るための基礎を海中に作っていく。

淡路島の海苔は、海底に錨(いかり)を沈めて固定し、ロープと浮きで海面に網を浮遊させる「浮き流し式養殖」で育てる。海苔漁には専用の小さな船が使われるが、積み込まれている漁具の中でひときわ目を引くのが、年季の入った大きな錨である。この錨を海に沈めてロープを張り、海に養殖場を設営するのだ。

錨を積んだ船

錨とロープを乗せた船に乗り込み、港を出てから十数分。養殖場の設置場所に着いた漁師達は、早速作業にとりかかる。

基礎作りは3人1組で行う。船を運転する人、錨を下ろす人、ロープを引っ張る人。息の合った作業で次々と基礎が出来上がっていく。養殖場の区画は漁業組合で決められているのだが、素人目にはただの広い海。どこからどこが決められた区画なのかさっぱりわからない。だが、漁師は浮きや陸の地形などで海の正確な位置がわかるのだという。

この基礎は、天候などを見ながら10月半ばから下旬までに完成させる。海が荒れている日は作業ができないのだが、荒天が続くと作業が遅れてしまうので止むを得ず出航することもある。荒波に揉まれながらの作業は危険を伴う。漁師は常に命がけなのだ。

撮影:大橋水産

基礎が完成すると、次は海苔を育てる網を設置する。海中の気温が下がってくる10月末から11月初め頃に、海苔の胞子が付けられた網を漁場に張っていくのだ。海苔は水温が高いとうまく育たない。海水温が23℃以下になったタイミングを見計らって網を張る作業が行われる。

海苔の苗を育てる

網の長さは1枚が20m。それを縦に4列に並べて1筋とし、それを30筋並べていく。30筋で1面、それと同じものを4面作っていくのだ。20mの網は合計で480枚張ることになる。

海苔の漁場イメージ
海苔の胞子が付いた網を張る

網を張り終えた翌日からは、毎日「乾湿」を行う。乾湿とは、海に沈めてある網を海上に持ち上げて乾かす作業である。

自然の海苔は潮間帯(干潮の水面と満潮の水面の間)に生えていて、潮の満ち引きで自然と海苔が海上に出たり、海中に沈んだりしながら大きく育つ。それを人口的に行うのが乾湿である。

朝6時頃に網を上げ、1〜2時間ほどそのままにしておく。風の強弱など天候によって乾湿時間は異なるが、全体的に乾いてきたらまた海に沈める。乾かすことで、海苔以外の藻が除去されて強い海苔に育つのだという。また単胞子(後述)が出やすくなるため、海苔の育成が進むのだ。

この作業も海が荒れていなければ毎日行う。瀬戸内の11月とはいえ、早朝の海はかなり寒い。毎日480枚もの海苔網を上げ下げするのは大変な作業だ。

網に付いている胞子は海中で発芽し、1週間ほどで肉眼で見えるくらいの大きさに成長する。さらに3日ほど経つと、細胞の一部が「単胞子」となって分離、近くの網に付いて、またそこから新しく「二次芽」が育つ。海苔はこのように無性的に増えて、どんどん成長していくのだ。この育苗期は海苔の成長の中でも一番大事な時期で、育苗の成長の良し悪しで海苔の出来が決まる。また、この時期は海水温も天候も不安定になりやすいため、漁師は気が抜けないのだ。

撮影:大橋水産

乾湿を初めて14日から20日ほど経過したら、一旦全ての網を引き上げてー25℃の冷凍庫に入れる。育苗の成長には海水温約16℃〜23℃くらいが最適とされているが、もう少し成長してくると好適水温は16℃以下が望ましい。近年の瀬戸内海は11月半ばでも昔と比べて水温が高い。海水温が十分に低くなるまで冷凍しておくのだ。また、冷凍することで病原生物を除去することができるのだという。

冷凍している間ものんびりはしていられない。乾湿に使った支柱を大急ぎで片付け、次の本育成に備えて養殖場をきれいに整えておくのだ。

本張り・大きく育てる

11月後半、冷凍していた網をまた海の漁場へ持っていき「本張り」を行う。これから海苔を大きく育てていく本育成に入る。大きく強く育てるために、週1回ほど海苔に栄養剤を含んだ殺菌をする。自然食品に含まれるクエン酸やリンゴ酸を主成分とする酸性溶液を海苔に与えることで、病気を防ぐのだ。殺菌には「もぐり船」と言われる海苔漁専用の船を使う。その名の通り船を網の下に潜らせて、進水しながら作業をしていく。

海に設置された養殖場は錨(いかり)で固定されているが、荒天や潮の動きに影響されて、海底に沈んだ重い錨も動いてしまうことが頻繁にある。作業の合間に錨を元の位置に修正するのだが、これがかなりの重労働である。大橋水産の代表・大橋宏樹さんは、いかにも海の男といったがっしりとした逞しい体つきをしているが、それでもこの錨を張り直す作業はキツイと言う。冬の寒さと重労働、それに加えて海上は常に危険が伴う。海苔の養殖は一筋縄ではいかない、大変な仕事だ。

冷たい冬の海の中、本張から約20日で海苔は長く大きく成長する。いよいよ収穫である。

収穫は暗いうちから

海苔の収穫は早朝に行われる。

午前6時頃、宏樹さんが海苔の収穫用の船に乗って出航する。その後を追うように、宏樹さんの妻・純子さんが一回り小さな船を操って港を出ていく。宏樹さんが収穫をする傍ら、純子さんは漁場に流れ着いた木の枝など、海苔の生育の妨げになるゴミを回収するのだ。

海苔の収穫は、酸処理と同じように網の下に船をもぐらせて、船に搭載している摘採機で刈り取っていく。

午前6時の鳥飼漁港・海苔の収穫用の船

海苔は光合成を始める前のまだ暗い時間帯が、一番その身に栄養を蓄えている。日中になると光合成を行うため細胞中の養分を消費してしまうのだ。そのため、海苔は日の出前から早朝に収穫をする。

淡路島とはいえ、収穫時期である12月末から3月初めの海は非常に寒い。日の出前の海上となれば、さらに寒さは極まる。

(撮影:大橋水産)

約2時間後、収穫を終えた海苔が港に戻ってきた。数時間前は空っぽだった船は、真っ黒な海苔で埋め尽くされていた。足の踏み場もないどころではない。海苔の海だ。

港では、純子さんの両親である大橋盛夫さん(72歳)とまり子さん(70歳)が船の帰りを待っていた。刈り取ったばかりの海苔を手渡され、仔細に確認する二人。やはり出来栄えが気になるようだ。

船いっぱいの海苔は、みるみるうちにポンプで吸引されていく。吸引された海苔は、港から工場まで繋がるホースを通って、工場の攪拌器に集められる。船一艘いっぱいに収穫すると、約4万枚の海苔が出来上がるのだという。

海苔を吸引して工場まで送る

収穫が終わると、入れ替わるように今度は盛夫さんが海へ出ていく。収穫後の海苔に殺菌をして、また次の海苔を育てるのだ。海苔は刈り取った後からまたすぐに大きく成長する。1週間から10日後にはまた刈り取って、それを4、5回繰り返していく。

収穫が終わるとすぐに工場で海苔の加工が始まる。海苔の生産期は、漁師は一息つく暇もないほど急がしい。

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