東京から来た料理人(1)

厳しい暑さがようやく峠を越そうとする8月25日の朝、一人の料理人が新幹線姫路駅のホームに降り立った。爽やかで知的な雰囲気を漂わせる彼の名は城田澄風(すみかぜ)。東京・恵比寿の地で日本料理店「紀風(きふう)」を営む料理人である。この日、彼は夢前町を訪れるためにはるばる新幹線で姫路駅までやって来たのだ。

2014年に開業した紀風は、その開業年からミシュランガイドの星を獲得しているという実力派の日本料理店である。そんな華やかな世界で活躍する東の料理人が、何故わざわざ西の地味な田舎町へ足を運ぶことになったのか。その原因は、我らが酒の営業部長・兼陶芸家の今西にあった。

今西は二ヶ月ほど前に紀風を訪れており、その際に播磨日本酒プロジェクトのお酒「愛山1801」を城田に手渡していた。紀風では料理の素晴らしさはもちろんのこと日本酒の品揃えも豊富で、選りすぐった全国各地のお酒を取り揃えている。城田は初めて見る愛山1801に興味を持った。それ故の来町となったのである。 しかしながら城田が夢前に来る8月25日は壺坂酒造で蔵開きイベントが行われており、壺坂はその場を離れることができない。また、飯塚はこのイベントでなぜか射的屋のオッサンになることが決定している。肝心の二人が城田を案内することができないのだ。そこで重鎮・関に白羽の矢が立ったのである。

関哲洋──彼は兵庫県立大学の名誉教授であり、夢前町の地域活性化事業・ゆめ街道の委員長も務めている。口髭を蓄えた穏やかな紳士風であるが、人一倍お酒を嗜む酒好き達の長老でもある。彼が夢前町の案内人として同行することになったのだ。

飯塚と壺坂が不在だが心配にはあたらない。何故なら夢前町はキャラの宝庫、個性豊かなツワモノ達が揃っているのだ。主役不在でも全くノープロブレムな夢前町で、料理人・城田は予想外のディープな一日を経験することになる──。


姫路駅で合流した城田と関は挨拶を交わし、車に乗り込んだ。姫路城を通り過ぎ、車は北へと走る。夢前町は農業が盛んな地域である。料理人の城田に地元の食材を紹介すべく、先ずは夢前で葡萄を栽培している小山内(おさない)果樹園へと向かった。夢前の葡萄は8月後半から9月末にかけて品種ごとに収穫の時期を迎えており、今が旬である。たわわに実っている頃であろう。

小山内果樹園は夢前川沿いに広がる開けた農地の真ん中にある。周囲が野菜や米を作っている中、単独で葡萄を栽培しているため葡萄園はよく目立ち、遠目からでもすぐに分かる。園を経営するのは就農三年目の若手葡萄農家、小山内(おさない)。最近結婚した彼は幸せ太りで顔が丸くなり、幼さに拍車がかかった好青年である。果樹園に到着した城田と関は小山内の案内で園の中へと入っていった。

葡萄は枝を横に伸ばすために要所要所に支柱が建てられ、天井にも格子状の棚が作られている。 いわゆる葡萄棚である。葉が生い茂っている葡萄棚の高さは低く、城田と関は腰をかがめて歩い ていく。園の中ほどまで来たところで、小山内は木から熟した大粒のシャインマスカットとピオーネを摘み取り、城田と関に手渡した。

「うん、甘いね!」

「ほぉ~、これは美味しい葡萄だねぇ。」

摘みたての瑞々しい葡萄を食べた城田と関が、口々に感想を漏らす。
小山内は就農三年目の農家で葡萄の木も樹齢三年。農家も木も成長途中の青々とした若手である。飯塚を始めとした農業の先輩達に支えられ、栽培方法や獣害対策など様々な壁にぶつかりながらも、日々明るく前向きに農業に励んでいるのだ。

「まだまだ満足できる葡萄は作れてないです!」

そう省みる小山内に、城田澄風は澄み渡る風のように爽やかな言葉をかけた。

「良い葡萄ができたら教えてください。楽しみに待ってます!」

城田澄風と小山内陽介。名は体を表す、その言葉をリアルに体現する二人の男の葡萄農園での固い約束であった。そしてその傍らには、二人の様子を葡萄をもぐもぐとつまみながら温かく見守る関の姿があった──。小山内の葡萄は若木の荒さがありながらも、その味の良さに近隣の飲食店などから一目置かれている。城田との約束は近い将来必ずや果たされるであろう。

小山内果樹園を後にした城田と関は、播磨日本酒プロジェクトの酒米を育てている飯塚の田んぼへ向かった。8月末の稲は青々として葉はぴんと上を向き、順調に育っている。晩稲(おくて)であるため稲穂はまだ出ていないが、後10日ほども経てば穂が見られるであろう。夏の盛り過ぎるも、青田を眺める城田の白いシャツは目にも爽やかである。まだまだ蒸し暑いが空は高く、秋の気配がほんの僅かに感じられる。

見学を終えた二人は車に乗り、さらに北へと走った。そろそろお昼ご飯の時間である。二人は地元の食材が味わえる農家レストラン・且緩々(しゃかんかん)へ向かった。

(続く)

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