東京から来た料理人(2)

且緩々の前で城田(右)と関

且緩々(しゃかんかん)は四月の土探しで一番最初に訪れた福岡が経営する店である。ビュッフェスタイルで地元の旬食材を楽しめる人気のレストランで、田舎の山奥にも関わらずこの日もたくさんの人で賑わっている。城田と関は銘々に料理を皿に盛り付けて席に着いた。

夏野菜を中心に構成された料理が色とりどりに並ぶ中、ミシュランガイドで星を獲得している紀風の板長・城田の興味を引いたのが、夢前町の郷土料理「くさぎめし」である。

くさぎめしとは山野に自生している臭木(くさぎ)という植物の若葉を炊き込んだご飯である。臭木自体はその名の通り臭いが強くて癖があるのだが、その若葉を蒸して乾燥させると臭みが抜ける。食べ物が今ほど豊かではなかった時代の保存食であり、くさぎめしは今でも地元の人に受け継がれている。城田はお茶の葉に近い印象を受けたようだ。こんなに素朴な料理が東京の一流料理人の目に止まるとは不思議なものである。

「いやー、初めて食べましたよ。くさぎめし、いいですねー。」

城田は目を輝かせながら一口一口を味わっている。くさぎめしにかなり心を惹かれた彼は、実際に生えている臭木を見たいと言いだした。もしかしたらこの近くでも臭木が見られるかもしれない。

彼の要望に応えるべく、夢前の山野草のプロに電話をかけた。プロに話の内容を伝えると、 なんと今すぐ且緩々に来てくれるという。夢前の植物のプロフェッショナルといえばそう、あの男を置いて他にいない。夢前町の自然を愛する会の会長、山本弘である。

夢前町の自然を愛する会の会長・山本弘

しかしながら、これから且緩々よりさらに北にある賀野(かや)神社へ城田を案内する予定である。来てもらえるのは非常に有難いのだが、今すぐ来られるとそれはそれで困る。そこで山本には40分後に且緩々へ来てもらうことにした。

電話一本でトントンと話がまとまったことに城田は喜び、期待に胸を膨らませながらデザートのタンポポ茶アイスを笑顔で口にしている。その様子を見ながら、関は目を細めて穏やかに呟いた。

「山本さん、今日はヒマだったんだねぇ。」

食後のハーブティーを飲みながら、二人はスマートフォンで播磨日本酒プロジェクトのインスタグラムを見ていた。この物語は2018年当時、インスタグラムで毎朝7時に連載していたのである。

インスタグラムには物語とともに画像を数多く投稿している。関は同プロジェクトのインスタグラムの存在を知らされていたが見るのはこれが初めてだという。投稿画像を一通り眺めていた関は、一つの画像に目を止めて眉をしかめて呟いた。

「えぇっ、この写真は載せたらダメだろう。」

それは、4月の土探しの際に宿泊した旅館・夢乃井で日本酒を何升も空にした夜、カラオケで関が熱く歌い上げている画像であった。この日の酒宴で最後まで一番元気だったのが最年長の関だったのだ。酒好き達の思い出の一枚である。

且緩々を出た彼らは、夢前町の北端にある賀野(かや)神社を目指して車を走らせた。北へ進むにつれて家屋は少なくなり、その分山が迫ってくるように緑が多くなる。だんだんと道は細くなり、神社へ向かう曲がりくねった山道に入ると急に気温が下がったように感じられた。車から見える木々は濃い緑の葉を目一杯張り巡らせて太陽の光を遮っている。細くうねった山道を通り抜けて、二人は夢前町の奥の院、賀野神社へと辿り着いた。

賀野神社の歴史はそうとう古い。西暦200年から300年、応神天皇が雪彦山山頂の祠に伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)の二神と保食神(うけもちのかみ)を祀ったのが始まりである。その後、山頂にあると庶民の参拝に不便であるとの理由から701年に現在の場所に移されている。神社の規模としては非常に大きく、1868年の火災により現在は拝殿しか残っていないが、現存すれば高野山よりも大きいと言われている。

山中に隠れるように佇む賀野神社は社務所もなく人気はないが、ただならぬ荘厳さが感じられる。現代人には絶滅寸前の感覚である「畏れ」を思い起こさせるような、神気に満ちた神社である。

賀野神社からは雪彦山が見える。城田と関は、しばし山の雄壮な姿に見惚れていた。

神社で参拝を終えた二人は駐車場へと戻っていった。車へ戻る途中で城田が足元を見て声を上げる。

「わ、ヒルだ!」

見ると、城田の足首にヒルが付いている。雪彦山付近はヒルが多く、山中にある賀野神社も例外ではない。木の上にいたヒルが人の体温を察知して落ちてきたのであろう。

「へー、ヒルって上から落ちてくるんですねー。」

城田は初めて知ったヒル豆知識に驚きながらヒルを取り除き、再び車に乗り込んだ。
(※ヒルの 生態については諸説あります。)

神社から且緩々へ戻る細い山道で、真っ赤なオープンカーとすれ違った。それを見るなり城田が声を上げた。

「あの車ヤバイですよ!天井がないからヒルが上から落ちてきて車がヒルだらけになりますよ (笑)」

城田の様子がおかしい。澄んだ風のように爽やかで知的な佇まいが、夢前に来てわずかな間に関西寄りに微妙に乱れてきている──。嬉しそうに夢前の旅を楽しむ城田の横顔に一抹の不安を覚えた。

西の自由奔放な雰囲気を東に持ち帰らなければいいのだが……。

(続く)

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