流離いのクリエイター(雪彦山篇 1)

大木が陽を遮り、日中でもほの暗い山の奥。人の三倍くらいあろう大きな岩はしっとりと苔むし、聞こえるのは勢いよく流れる渓流の音ばかり。

「ワァ────!」

静かな山中で叫び声が響き渡った。そして、川沿いにある急傾斜の登山道を勢いよく滑り落ちていく一人の男──。

男は千葉県に居を構えていた。映像広告制作を生業とする彼は、誰もが知る有名企業のプロモーション動画をいくつも手がけ、東京で活躍する三十代後半の若きクリエイティブディレクターである。類稀なる才能で成功を収めた彼であるが、ここにきて自分の仕事に疑問を抱くようになっていた。案件が大きくなるほどに世間に与える影響、そして表現者としての自らの思いとのギャップ──。男は自らを見つめ直すべく、国内や海外など様々な土地へ旅をしていた。

そんな日々を過ごしていたある日、彼は今西と連絡を取ることがあった。今西は日本の代表的な六つの窯である日本六古窯の一つ、丹波焼の陶芸家である。男は六古窯のプロモーション動画を手がけたことから今西とは見知った間柄であった。

男の現状を知ることとなった今西は、軽いノリで彼に一つの提案をした。

「自分、夢前町に行ってみぃひん?」

(夢前町──そういえば今西さんが現在関わっているプロジェクトの場所が夢前町だった。以前から少し話には聞いていたし、全然知らない田舎だけど何となく面白そうだ。何より今西さんが薦める事案は当たりが多い……。)

「今西さん、僕夢前町に行きます!」

こうして、今西の安易な提案をうっかり信用してしまった一人の男が、千葉県からはるばる夢前町へ来ることになった。

彼の名は岡篤郎(おか とくろう)。夢前町でどんな目に遭うのか、この時の彼は知る由もなかった。


心地よい秋風はほんの少し冷気を含み、草露が白々と見える九月二十七日、岡は夢前町に到着した。彼は車から降りるやいなや、バッグからカメラを取り出して周りの景色や人を撮影し始めた。仕事柄癖になっているのかもしれない。嬉しそうにレンズを山や田んぼや人に向けては満足気な表情を浮かべている。動画制作をする彼にとっては撮ることが呼吸をするように自然なことであり、楽しいのであろう。

岡を出迎えたのは杜氏の壺坂と夢前の自然を愛する会の会長、山本弘である。挨拶を交わした三人は、まずは腹ごしらえをしようと夢前町でお馴染みの農家レストラン・且緩々へと向かった。

岡は東京と千葉を拠点に、映像のクリエイティブディレクターという何やら都会の香り漂う仕事を営んでいる。おそらく高層ビル立ち並ぶ中で電磁波飛び交う日々を送っているのであろう。 そんな環境では疲れも出てしかるべし。彼には大自然のもとでゆっくりと過ごしてもらいたい。そんなおもてなし心から、夢前の名山である雪彦山(せっぴこざん)に彼を案内することにしていたのだ。

夢前町の北端に聳える雪彦山は、弥彦山(新潟県)、英彦山(福岡県・大分県)とともに日本三彦山として知られる修験道の山である。標高は915.2mとさほど高くはないが、 険しい岩場や勇壮な大自然から、上級のロッククライマーから登山初心者まで幅広い山好きに愛されている。山といっても麓の方には気軽に自然が楽しめる散歩道のようなルートがあるだろう。そこで夢前の山の専門家でもある山本に同行してもらい、自然を軽めに体験できる道を案内してもらうことにしていたのだ。

「楽しみですよ、雪彦山!」

岡は夢前に着いてから常にカメラを携えて夢前の様子を撮影している。山の景色も彼の楽しみの一つとなれば申し分ない。

「雪彦山は毎年遭難者が出るんですよ。」

杜氏の壺坂が且緩々の特製カレーを食べながら話し始めた。夢前町前之庄に酒蔵を構える壺坂は、地元の地域活動の一環で雪彦山遭難者のレスキューに携わっており、訓練もしている。いざとなれば救助活動に参加するのだという。毎年遭難者や死者が出る、それほど危険を伴う山なのであるが、今回は夢前の自然を熟知した山本が安全に楽しめる道を案内してくれるのだ。心配は 無用である。雪彦山の危険性をよく知る壺坂も安心して、デザートのムースとハーブティーを楽しんでいた。

ランチを終えて且緩々を出た彼らは、早速雪彦山へと車を走らせた。

且緩々から車で北へ5分ほど行くと登山口がある。だが山本はさらに奥へと進むように指示し、一行は車で細い山道を登っていった。定めし山の中ほどにきれいな散歩道があるのだろう。

「この辺りや、降りよか!」

山本がそう言って車を停めさせた場所は、木々が鬱蒼と茂る山の真っ只中であった。山道の端にある駐車場に車を停めて降りたはいいが、きれいな散歩道は見当たらない。周囲には高く伸びた木が太陽の光を遮りながら立ち並び、静かに山の威厳を放っている。

「こっちや、よっしゃ行こかっ。」

いつもの軽やかな笑顔で皆を促す山本弘。彼が指差す先には鬱蒼とした暗い山中へと続く登山道があった──。

道の入り口には「雪彦山ポイントマップ」と書かれた看板が設置されている。 その看板には大きな太い赤字で「危険」の二文字が記され、登山マップの横に次のような注意事項が並んでいた。

  • 雪彦山の登山ルートには危険な場所がたくさんあり死傷者も毎年発生しています。
  • 軽装での登山は危険!
  • 雨具・防寒衣を忘れずに!
  • ライト、非常食は持っていますか?
  • 連絡手段は大丈夫ですか?
  • 事故にあったらポイント番号を連絡してください!

弘よ、これは一体……。 春の土探しと夏の臭木探しで、山本弘に散々歩かされた我々は学習した筈ではないか。こんな 本格的な登山をする予定ではなかったため登山ウェアも荷物もない。全員普段着の超軽装であるが、そんな些細なことは弘は気にしない。彼は完全に看板をスルーして、岡と壺坂を山の中へ連れ込もうと笑顔で手招きしている。想定外の事態に為す術もないまま今回も弘の後を付いて行くしかない。岡には夢前の鹿に蹴られたとでも思って潔く諦めてもらおう。

普通のシャツに普通のパンツ、普通のスニーカー。軽装甚だしい完全に山を舐めきった出で立ちの、岡と壺坂の雪彦登山が急に幕を切って落とされたのであった。

(続く)

※雪彦登山は山の専門家・山本の指導の元、雪彦山遭難救助の訓練を受けた地元の壺坂も同行しています。雪彦登山 は万全の備えをしてから挑みましょう。

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