酒造り始まる

北風が木の葉を払い落とし、山々が静かに冬を迎えようとする十二月上旬、壺坂酒造は酒造りに追われていた。

酒蔵の朝は早い。大型の蒸し器である甑を使って酒米を蒸す作業から一日は始まる。もうもうとした熱気が辺りに充満し、蒸し上がる米の香りが古い蔵の中に立ち込める。

夢前町は兵庫県南西部にあり大雪が降るほどの寒い地域ではない。しかしながら蔵のちょうど東側に山があり、冬場は午前9時を過ぎないと朝陽が差し込まない。そのため夜間から朝にかけての気温が低いまま保たれる。この土地条件を生かして壺坂酒造は酒造りを行っているのだ。気候を生かすのには理由がある。なぜなら、いまやどの酒蔵にも当たり前のようにあるタンクの冷却装置が壺坂酒造にはないからである。

現代の酒蔵の仕込みタンクの多くは、タンクの中か外に冷却装置を付属させて温度調節を行っている。しかしながら壺坂酒造のタンクにはあえて冷却装置を付けていない。それは「夢前ならではの地酒らしさ」を生み出すためだという。蔵とタンクの温度は毎日の気候と酒の状態を見ながら蔵の扉を開閉することで調節している。手間暇がかかるが、夢前の気候風土に酒を預けることで土地をまるごと酒に移しとり、他にはない夢前らしさを生み出すのである。

壺坂酒造唯一の機械式空調設備といえば扇風機である。蔵の要所要所に置かれているこの扇風機の前で夏の暑い盛りに飯塚が涼んでいるのを目にすることがあるが、これは人間を涼しくするためのものではない。冬の酒造りにおいて夜中から明け方の冷たい外気を蔵内に引き込み、タンクにあてるために置かれているのである。

12月、壺坂酒造で一番最初に出来上がるお酒は「金壺」である。アルコール度数は20度あり、播磨で獲れる猪肉とも相性が良い地元で人気のお酒である。仕込み一本目で一番最初にしぼる「あらばしり」は、まず神棚や仏様にお供えする。今年も酒造りを始められたことに感謝をし、 美味しいお酒が出来上がるよう祈願するのである。蔵の扉には必ずしめ縄が張られているのを見ても分かる通り、日本酒造りには機械化された現代でもなお、神仏への祈りと感謝を忘れない風習がどの蔵でも守られているのだ。

壺坂酒造で金壺が出来上がった頃、東京恵比寿の日本料理店、紀風(きふう)では、料理人の城田が半生バチコを作っていた。城田は夢前町を訪れてから播磨の食材に興味を持ったようであり、バチコの材料である海鼠(なまこ)は坊勢島から取り寄せたものである。ミシュランガイドで毎年星を獲得する紀風では、この自家製半生バチコが大好評のようである。城田お手製の贅沢な逸品はさぞかしお酒が進むであろう。

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