陶芸家・今西 (3)

今西の作品には古丹波に通じる精神性が内包され、然びの趣向を満足させるだけのものがある。
だが、それだけではない。枯木に寒鴉(かんあ)あり、酒席に今西あり。彼は無類の酒好きである。酒好きの一流陶芸家が酒器を作るとその仕上がりはどうなるのか。我々は彼の個展で酒器を買い求めにきた常連と思しき方々の話からあるヒントを得ていた。それは次のような会話である。

今西の個展の常連と思われる男性。

「おまえ(今西)のぐい呑みに殺される!」

ご夫婦で個展に来廊。何度か今西の酒器を買っているご主人が、また酒器を購入しようとしているのを見た奥様の一言。

「あなた(これを買ったら)またあんな目に合うわよ!」

今西のぐい呑みに酒を注ぐ。酒が注がれると、器の内側にまた別の顔とも言うべき仄(ほの)かな艶が現れる。手触りを楽しみながら、一献、また一献。いつもよりお酒が美味しく感じられ、何だかペースも少し早いような気がする。これで終わりにしておこう。そう思いながらぐい呑みをテーブルにことりと置くと、ぐい呑みが丹波訛りの言葉で親しげに語りかけてくる。

「え? まだ全然いけるやろ?」

その語りかけにうっかり応じて、また酒を注ぐ。こうして今西のぐい呑みに付き合っているうちに、ついつい必要以上に呑み過ぎてしまうのである。

一流の陶芸家が作る器には作家の魂が宿るという。その例に漏れず、一流の陶芸家である今西が作る酒器にも魂が宿っているのだ。

そう、今西の酒器には酒好きの魂が宿っているのである!

一人寡黙に古丹波と向き合い作陶に打ち込む今西の姿は、俗世と交わろうとしない孤高の雰囲気すら感じられる。それゆえ近寄りがたい一流の陶芸作家として世間から認知されているのだ。しかしながらこの酒好きの陶芸家は、一度酒を酌み交わすと浴衣をはだけさせながら少年のように快活に陽気になる。毎回見事な浴衣の解放的ゆるみには感服せざるを得ない。我々播磨日本酒プロジェクトは日本酒をメインに扱うため今西とは酒席で接することが非常に多く、図らずも彼のご陽気な側面ばかりを見ることとなってしまった。それ故、この物語も酒に快く酔う陽気な陶芸家の描写が多いのである。

今西の酒器は彼本人とよく似ている。佇まいは古格があり敷居の高さをも感じさせるが、一度酒を注ぐと酒好きにとってこの上ない良き友となるのだ。

そんな彼は、唯一世間に嘘をついていることがある。今西作品の愛好者の中には播磨日本酒プロジェクトのインスタグラムをご覧いただいた方も少なからずおられるようで(注:この物語は2018年当時インスタグラムで連載していました)今西に次のような問い合わせがあるという。

「これ(インスタグラムに登場してる陶芸家)今西さんですか?」

その度に彼はこう答えている。

「弟です。」

このようなやり取りを日々繰り広げている孤高の陶芸家・今西は、我々にこう語った。

「(この物語のお陰で)だいぶ親しみある陶芸家に変わってきたわ!(笑)」

イメージを壊してしまい、本当に申し訳ない。

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