飯塚の田んぼ

臨済寺から車で十五分ほど南へ下り、一行は飯塚の田んぼに到着した。先刻までの山中とは打って変わって、夢前川沿い一面に田んぼが広がり見通しが良い。見上げる空も広く高く感じられる。 四月の田んぼはまだ田植え前で水も張っておらず、むき出しの土ばかりである。

飯塚は早速、用意していたショベルカーに乗り込んで田んぼの土を掘り起こしにかかった。大きなショベルで数十センチメートル掘ると、すぐさま粘土質の層が顔を出す。兵庫県は肥沃な粘土質の土地が多く、 それ故に米の一大産地となっている。土地の性質がすぐに顕になったのだ。

「出た出た!」掘り出された土に陶芸家の今西がさっそく駆け寄り、土を確認する。

「この土は使えそうやな。」今西が予想していたよりも土の状態はいいらしい。彼は持参した大きな袋を取り出して、次々と掘り出される土の塊を詰めだした。飯塚と壺坂は土を拾い集めて袋詰を手伝い、その様子を石丸がカメラに収める。皆の働きを後ろから穏やかに見守る関。何袋にもなったこの土を今西は丹波に持ち帰り、陶土に精製するのだ。

土を採取する様子を撮影する石丸

彼らが作業をするその隣では、小山内が軽トラックから箱を下ろして何やらゴソゴソと準備をしている。
葡萄農家・小山内(おさない)──二十代半ばの彼は、いまだ学生にも間違えられるほどの幼い顔をしている。まるで漫画のキャラクターのように名前と顔が一致しているが、この物語はノンフィクションである。幼い顔ながら、彼は米作りが盛んな夢前町の農地のど真ん中で葡萄を栽培している強者でもある。

小山内は大きなオイル缶と釜を取り出した。釜に米と水を入れ、オイル缶には籾殻を敷き詰め、火を点ける。これは「ぬかくど」と言う炊飯方法である。昭和初期までは各地で竃(かまど)の代わりに利用されていたが、今は絶えて久しい。田んぼで食べる炊きたてのご飯ほど旨いものはない。飯塚は、遠方から来た今西と石丸に「ぬかくど」の炊きたてご飯を食べてもらいたいと思い、後輩である小山内に準備を頼んでいたのだ。不器用な彼なりのもてなしであった。

オイル缶と籾殻に皆の関心が集まる中、小山内がバーナーで籾殻に火を点ける。燃え移っていくかに見えた火はすぐに消えてしまった。火を安定して燃焼させるにはコツがいる。四苦八苦している小山内を見かねた今西が「ちょっと貸してみ。」とバーナーを受け取り、籾殻全体に火を回した。陶芸家は火を自在に扱うことで焼き物に色や表情を付ける。今西にとってこんなことは造作もない。あっという間に火は安定して燃焼し始めた。

「さすが、火の名人!」鮮やかな手さばきに皆が感心して褒めそやす。賞賛を受けて一瞬喜びそうになった火の名人・今西は、すぐさま氷のように冷静になる。

──オレは火の名人ではない── (陶芸家や)。

そこへ唐突に一台の車がやってきて田んぼの脇道に停まった。車の窓から初老の男性が顔を出し、軽快な口調で声をかけた。

「お! 飯塚くん、何しよん?」
「山本さん!」

男性の名は山本弘。七十代前半であるがまだまだ元気いっぱいの彼は「夢前町の自然を愛する会」の会長であり、夢前の植物や山地などに造詣が深い。実は彼には事前に酒器作りについて話をしており、明日は彼の案内で、土を採取できる場所へ行く予定である。今日は偶然ここを通りがかったのだ。

山本は車を降りて、いつもの気さくな調子で話しかけてきた。

「みんな揃って何しよん?」

「酒器に使う土を探してるんです。」答える飯塚。

山本は驚いた表情で尋ねた。「土? 土探してどないするん?」

「えっ、こないだお話した酒器作りに……。」とまどいながら答える飯塚に、山本は屈託のない笑顔で質問を投げかける。

「酒器? 焼物作るんか?」

先日、時間をかけて山本に説明したはずなのだが全くもって彼と話が噛み合わない。加齢によるボケではない。天然である。最近は足腰が弱くなって雪彦山(せっぴこざん・夢前の北端にある山)に登るのも辛くなったと世間話を始める山本。内心ザワつく飯塚。繰り返すが、確かに彼には事前に話をしてある。にわかに雲行きが怪しくなった。彼に任せて本当に大丈夫なのだろうか……。

「山本さん、明日はお願いしますね。」恐る恐るお願いする飯塚に、山本は笑顔で答えた。

「明日ね、オッケー、オッケー!」

(明日のことは覚えていた……!)

もはや何がオッケーなのかも分からない。山本弘は車に乗って軽やかに走り去った。田んぼに一抹の不安を残したまま——。

明日、彼らはいったいどこに案内されるのであろうか。弘に任せて本当に大丈夫なのだろうか
……。

明日が不安な飯塚(左)と今西

そうこうしているうちに、釜からはお米のいい香りがしてきた。もうすぐ炊き上がる頃だろう。 そこへ、またもや一台の車が田んぼの端に停まった。夢前町は田舎である。見通しのいい田んぼで見慣れない集団がたむろしていたら非常に目立つのだ。

車から降りて来た人物は夢前町民にとってはお馴染みの顔であった。夢前町連合自治会の会長・ 松浦である。松浦は町を愛するが故に、いつも町内の見回りに余念がない。そのため、久しぶりに町を訪れた者でも結構な確率で彼に遭遇することとなるのだ。年の頃は先の山本と同じくらいであるが、山本の気さくな雰囲気とは打って変わって会長としての貫禄がある。

「今日は何をやっとるんや?」

また若いもんが変わったことをやっとる、と言いたげに問いかける松浦に、壺坂が酒器作りのことを説明し、資料に掲載されていた写真を見せた。飯塚の田んぼが写っているという上岡遺跡の写真である。それを見るやいなや松浦は言った。

「この写真はココと違うな。向こうの田んぼや。」

松浦が指差す先はここから数百メートル先の田んぼであった──。

さすがは夢前町連合自治会長である。あっさりと場所を特定してみせた。同じ会長でも山本とは一味違う。自分の田んぼの区別がつかない飯塚とも違う。

残念ながら彼の田んぼは遺跡ではなかった。だが近いことには変わりない。土も採取できたのだから取り敢えずは万事OKであろう。

「炊けましたよ~。」
小山内ののんびりした声とともに釜の蓋が開けられた。炊きたてご飯の甘い香りがふんわりと辺りに漂う。白い湯気をたてたご飯が次々と皿によそわれていく。お米は飯塚が育てたプレミアムヒノヒカリである。無農薬、有機肥料栽培で手間暇かけて育てた米はしっかりとした旨味がある。

「旨い!」

初めて食べる今西と石丸は一粒一粒を味わいながら、田んぼの真ん中で炊きたてのご飯を楽しんだ。やはり外で仲間と食べるご飯は最高に旨い。

「おかわりはいかがですか?」お釜のそばで声をかける小山内に今西が答えた。

「おかわりしたいんやけど、今食ったらヤバイからなあ……。」

この時、時刻は午後四時。そもそも白米を食べる時間ではない。今夜宿泊する旅館で晩御飯が待っている。残ったご飯は松浦自治会長に持って帰ってもらうことにした。
「えらいこっちゃ、当分もつわ。」 年寄りには多すぎる白米をお土産に、松浦は自宅へと帰っていった。

今日一日の収穫は思った以上に多かった。田んぼでは土を手に入れることもできた。明日はいったいどんなことが待ち受けているのだろうか。

そして、問題の山本弘。彼は一行をどこへ導くのであろうか──。

様々な思惑を胸に、白米で中途半端に腹を満たしながら、一行は今夜の宿泊先である旅館・夢乃井(ゆめのい)へと向かうのであった。

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巨智の里・古知之庄

奈良時代初期に編纂された日本最古の地誌である播磨国風土記によると、飯塚の田んぼのある夢前町古知之庄(こちのしょう)は、かつて巨智(こち)という名の氏族が住んでいたという。巨智族は百済からの帰化人であり、その祖は秦の始皇帝である。

巨智の文化の特色として緋染(ひそめ)の絹織物がある。緋染は百済の染色方法であり、洒草(あかね)という草の根で染めたものである。古代では非常に貴重なもので、聖武天皇が亡くなった日にお供物を入れた箱のおおいを押さえるために使った町形帯が、巨智で作られたものであったと伝えられている。今でも正倉院の宝物に保存されており、当時の巨智の影響力が垣間見える。

飯塚の田んぼがある辺り一帯は巨智氏の墾田が広がっていたとも言われており、古の時代から稲作が盛んに行われていたのだ。

時代は移り二十一世紀、文明が発達した現代でも古知之庄は一面に田園が広がり、昔と変わらず米作りが行われている。

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