米が酒に、土が器に(2)

壺坂酒造では酒米・辨慶を使った新しいお酒の仕込みが着々と進んでいた。
先ずは辨慶(べんけい)を甑(こしき)で蒸し上げるのだが、辨慶自体が非常に少ない。試験場に残されていたわずか700gの籾を譲り受け、それを種籾として酒米を収穫したのである。来年栽培する分を残しておくと酒造りに使えるのはたった105kgしかない。壺坂酒造の大吟醸雪彦山の仕込みには山田錦を600kg使うことから比べると、辨慶はかなり希少な酒となる。壺坂も杜氏を務めて以来最少の仕込みであるという。

収穫した酒米・辨慶

蒸米は麹造り、酒母造り、仕込みと、酒造りの工程において様々に使われるのだが、先ずは酒造りの要となる麹造りから始める。

麹は黄麹菌(きこうじきん)の胞子を蒸米に繁殖させたものである。米は糖分を含まないためそのままでは発酵しないのだが、麹は米のデンプン質を糖化させてアルコール発酵ができる状態を作り出すのだ。

蒸しあがった辨慶蒸しあがった辨慶蒸しあがった辨慶蒸しあがった

蒸し上がった米は麹室に入れられる。麹室は蔵の一階、高さ150cmほどの小さな扉の奥にある。室の中も天井が低く、大人が4、5人も入ればやや窮屈に感じられるほど狭い。 昭和30年に作られたこの室は壁や床に籾殻が敷き詰められている。保温効果とともに調湿効果があり、籾殻が余分な湿気を吸うため、適度に乾燥した良い麹米に仕上がるのである。

壺坂酒造では2種類の製法を使い分けて麹造りを行っている。ステンレス容器を使う床麹と木箱を使う箱麹である。床麹は電気の熱で温度調節を行うため管理がしやすい、現代の麹造り製法である。箱麹は菌の繁殖を利用して温度を上昇させる昔ながらの製法である。菌の状態を見ながら微妙な温度管理をするために手間暇がかかるが、温度変化がゆるやかで繊細な米麹となるため、大吟醸はこの箱麹で造られる。少量しかない辨慶も箱麹の製法で造ることになった。

麹を造る際は米をばらばらにほぐす「切り返し」という作業が重要になる。米の温度ムラをなくし、一定に保つことで均一に繁殖させるためである。麹は少量であるほど切り返しの作業を素早くしないと、温度が下がって良い麹にならない。少量しかない辨慶の麹造りはスピードが命である。

壺坂酒造は約360年前から酒造りを行っている。当時は別の村に蔵があったのだが、酒造りが上手くできなくなったとの理由から、壺坂家14代目・壺坂伝兵衛が1805年(文化2年) に現在の夢前町に移したのである。当時は自由に引っ越しなどはできない時代である。しかしながら壺坂家は殿様にお酒を献上していたため特例で引っ越しが許されたのだ。その時に建てた蔵が今も現役で活躍している壺坂酒造の酒蔵である。辨慶のお酒には、この壺坂酒造の蔵付き酵母菌を使用するのだ。

昨年秋、吉備国際大学に酒蔵の酵母菌採取を依頼していたのだが、使えそうな菌がとうとう発見されたのである。壁や柱、道具など蔵内の様々な場所で採取をしたのであるが、最終的に100年前に酒造りに使っていた桶から発見されたのだ。壺坂の焼却処分を叱り、当時の貴重な道具を残してくれた23代目壺坂正昭(壺坂良昭の父)のお陰である。父は偉大なり。

100年前に酒造りに使っていた桶

この壺坂酒造の蔵付き酵母菌を使って酒母を造っていく。酒母とは糖類を分解してアルコールを生成するものである。まさに書いて字のごとく、酒の母のような役割をするのだ。発見された 蔵付き酵母は野生酵母であるため、本来であれば力強い感じになるであろうと予測されていたのだが、壺坂によると出来上がった酒母はかなりきれいな感じなのだという。酒母の段階でやや吟醸香がして驚いたらしい。将来的にも期待が持てる優秀な酵母であるようだ。

酒母を造っているところを観察する飯塚(左)と今西

ちなみに、酒造り中の蔵に入る前に納豆を食べてはいけないことは酒好きの間では周知の事実であろう。蔵内は酒を醸すために絶妙な菌のバランスが保たれている。そこに納豆菌が持ち込まれると繁殖率の強い納豆菌のこと、麹菌を負かしてしまい酒の味が変わってしまうこともあるのだ。故に酒造り真っ最中の杜氏は納豆厳禁である。壺坂は幼少の頃から納豆が嫌いで何の問題もなかったそうであるが、なんと40歳を過ぎて納豆の美味しさに目覚めてしまったのだという。 杜氏としては全くもって無駄な開眼である。

麹米と酒母を造り、いよいよ酒の仕込みが行われる。仕込みに使う蒸米は「掛米」と呼ばれる。 掛米は酒造タンクの中で米が均一に溶けるようにバラバラにほぐさなければならない。

通常は機械で行うのだが、壺坂酒造では大吟醸の掛米のみ、ほぐし作業をスタッフ総出で手作業で行う。 しかしながらそこは人がすること。細かくほぐす人や大雑把にほぐして団子状になっても平気な人など、米をほぐすという単純な作業にも性格が現れるらしい。細かくほぐすと米は早く溶け、 団子状のものはゆっくり溶けていく。杜氏になったばかりの頃の壺坂は、均一に細かくほぐすよ うにと度々指示をしていたようである。若さと杜氏としてのプレッシャーから気が張り詰めていたのであろう。ある時、ほぐされて大小様々な形になった米を見て「これが壺坂の味かもしれない」 と思ったのだという。夢前の個性豊かな人の手を通って、気候と風土にまかせた自然発酵の中で それぞれの速度で溶けてゆく。それが壺坂酒造の酒になるのではないかと──。それ以来、大吟醸の掛米のほぐし作業はスタッフの個性に任せてするようになったのだという。

ほぐした掛米は約4時間晒した後、タンクに投入される。辨慶のお酒も酒造りの工程はほとんど同じであるが、問題は酒米の量である。少量しかない辨慶は仕込みに使う分も貴重である。米をこぼすことがないよう注意を払い、布にできるだけ残らないようにし、分析採取も極力減らし た。1kg、1ℓのロスが大きく影響してくるのだ。

(続く)

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