壺坂酒造

山を降りたのは十一時を少し過ぎた頃だった。山歩きでお腹をすかせた一行は、昼食をとるために、町内のホテル・ニューサンピア姫路ゆめさきへ向かった。朝まで一緒だったホテルマン・高山の職場である。

館内はランチタイムということもあって賑わっていた。高山が忙しそうにフロントとレストラン を行き来している。一行が山中を歩き回っている間、高山はホテル内で走り回っていたのであろう。ホテルのホールで靴を泥まみれにした薄汚い集団に気づいた高山が、驚いた顔で声をかけた。

「あ、もう来ちゃったの? 土はあった?」

レストランに通された一行は「黒豚はりはり夢そば」を注文した。夢前産の蕎麦を使ったハリハリ鍋風の一品である。ランチを待つ間に杜氏の壺坂もサンピアに到着し、同じく蕎麦を頼んだ。今朝は仕事で同行することができなかった壺坂に山での出来事を話しながら、一行はしばしの休息を楽しんだ。

昼食後、関と山本は先に帰ることとなり、残ったメンバーは一路北へと車を走らせる。夢前川沿いを北へ上り、一行は壺坂酒造に到着した。今西と石丸に播磨日本酒プロジェクトのお酒を造っ ている酒蔵を案内するため、旅の最後にここへ足を運んだのだ。

車を降りた一行は壺坂酒造の店内を通り抜け、その先にある酒蔵へと向かう。壺坂の酒蔵は古い木造建築である。三メートル近い酒蔵の大扉の上にはしめ縄が張られてあり、重い扉を開けて一行は薄暗い蔵の中へと入っていった。

江戸時代創建の酒蔵は姫路市の都市景観重要建築物にも指定されている。年月を経て歩く度にギシギシと音を立てる飴色の床、今では希少となった太く長い梁。吹き抜けのように高い天井は古民家としては珍しい造りである。歴代の杜氏が登り降りしたであろう古い階段を見るにつけ、今と昔が交錯するような錯覚を覚える。壺坂は古い酒蔵ならではの特殊な構造を見せながら、今西と石丸に酒造りの説明をした。

蔵の二階へ上がると天井は高く広々としており、年代物の大樽や木箱などの醸造道具が並んでいる。これら一つひとつが相当古いものなのであろう。

木は野山に立って成長している時の命と、切り出されて木材となってからの命と、二つの命を持つと宮大工などは表現する。それほど木材となってからの木には、材としての生命力と人を惹きつける魅力が備わっているのだ。古い道具は年月を経た深みと味がある。

大樽の木肌を眺めながら今西は夢想した。古い材を使った趣のあるギャラリー、そこに並べる自分の作品。そんな空間を丹波に作ることができたら最高ではないか──。
その時、壺坂が耳を疑うような信じられない事実をさらりと発表した。

「この大きい樽とか木箱とか、古いもんがもっといっぱいあったんですよ。でも古くて汚いでしょ? だから僕が杜氏になったばっかりの頃に蔵をきれいに掃除しようと思って、叩き壊して全部燃やしたんですよ。だいぶ処分した頃に親父にバレて止められたんですけどね(笑)」

壺坂のにわかに信じがたい発言に、蔵の時がしんと止まった。今西と石丸は目を点にしたまま唖然としている。非常に残念な事実がここに発覚した。姫路市の都市景観重要建築物にもなっている酒蔵の杜氏には、古い物を愛でるセンスが備わっていなかったのである。 言われてみれば蔵の中は広々としてスッキリしている。このスッキリ感は、

壺坂酒造二十四代目オーナー杜氏の常軌を逸した整理整頓及び焼却処分によって生まれたのであった……!

壺坂家の写真

壺坂良昭──彼は全国新酒鑑評会で幾度も金賞を受賞するなど、酒蔵激戦区の播磨で頭角を現す実力派の杜氏である。その評価は国内にとどまらず、海外の高級レストランでも取り扱われているほどだ。

彼は酒のセンスは一流である。しかしながら酒以外のセンスは三流以下である。播磨日本酒プロジェクト一年目の時にもそのセンスを遺憾無く発揮する事件が起きた。

播磨日本酒プロジェクトで初めての酒が完成した2016年4月、その酒の名付けは壺坂に委ねられていた。壺坂は酒米の愛山にちなんで

「ラブ・マウンテン(Love Mountain)」と命名した。

お披露目前に試作されていた壺坂お手製、幻のラブマウンテンラベル

ラブ・マウンテン──愛称やサブネームとしては可愛らしくて良いのだが、メインの名前としてはいかがなものであろうか、播磨らしさは? プロジェクトのコンセプトは全無視か? などと物議を醸し周囲をざわつかせ、お披露目直前で名前を変更する事態となった。

ラブ・マウンテン命名を既(すんで)の所で回避したのが、いまや人気商品に成長した「播磨古今(はりまここん)」と「愛山(あいやま)1801」である。

衝撃の酒蔵見学を終えた一行。長いようであっという間だった土探しの旅は終わりを迎え、別れの時が近づいてきた。この二日間は各々にとって強い刺激となっていたようである。

陶芸家の今西は、播磨日本酒プロジェクトの酒器のイメージとして当初は荒々しいものを想像していたようであるが、実際に夢前の風土や人に出会い、別のイマジネーションが浮かんできたようである。飯塚の田んぼの土と山の土を丹波に持ち帰り、早速土の精製にかかるという。そして写真家の石丸は今回の旅で撮影した画像を自由に使っていいと快諾してくれた。

夕暮れの壺坂酒造の駐車場には、土袋を大量に詰め込んだ今西の車が長い影を落としている。 四人は名残を惜しみながら別れの挨拶を交わした。今西と石丸はそれぞれの車に乗り込み、夕陽で赤く染まった道を走って、それぞれ丹波と大阪へ帰っていった。

彼らを見送る飯塚と壺坂の気持ちにも変化が起きていた。夢前に住んでいながら知らなかった自分達のルーツ。そして陶芸家、写真家という異業種のプロフェッショナル達から受けた影響。 酒器は美味しいお酒があってこそ。米作り、酒造りのプロとして自分達に何ができるのか、どこまで高みへと登っていけるのだろうか──。

職種が違う、性格も考え方も違う。各々に得意なことがあり、欠けたところもある。そんな彼らの酒器作りは今、始まったばかりである。

(続く)

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