鰆流せ(はるながせ)

目次

淡路島の西海岸・五色浜

兵庫県の瀬戸内海に浮かぶ淡路島。古くは御食国(みけつくに)として朝廷に食材を貢いでいたほど、食物が豊富に獲れる土地である。日本の平均食料自給率が40%に満たない現代でも、淡路島は食料自給率が100%を超えている。まさに食の宝庫といえよう。周りを海に囲まれた島国ゆえにとりわけ漁業が盛んである。

そんな淡路島の西海岸に「五色浜」と呼ばれる浜がある。五色の名の由来は、メノウ、コハク、ルリ、白、斑紋など五色の玉砂利によって浜が埋め尽くされているからだ。五色浜はサンセットの景勝地でもあり、夕日に照らされた五色の石はキラキラと光り輝き、美しく浜を彩っている。

五色は瀬戸内海に面した漁師町である。瀬戸内海は陸に挟まれているため、山から豊富に栄養が流れ込みやすい。その栄養が海藻やプランクトンを育み、それらを狙って大小の魚が集まるため、様々な魚介類が数多く生息している。

四月、五色浜の漁港の一つである鳥飼漁港では、鰆漁が始まっていた。


春を代表する魚・鰆(さわら)

鰆(さわら)は全長1m以上にもなる魚で、細長く腹が狭い形をしているため「狭腹(さわら)」とも書く。魚編に春と書いて鰆(さわら)と読むように、春が旬の魚である。口は大きく、顎には鋭い歯があり、体側には斑点が並んでいる。腹は銀白色で背側は青灰色だが、太陽に照らされると瀬戸内の海のようなエメラルドグリーンに輝いて見える様が美しい。成長に伴って名前が変わる出世魚で、漁師は2kg未満をサゴシ、2kg以上をサワラと区別している。

肉質は見た目は白身であるが、成分的には赤身魚である。柔らかく上品な味わいで、鮮度のいいものは刺し身やたたきで食べると美味しい。特に皮目を炙ると味が重厚になって旨味が増す。白子や真子も美味で、お酒のお供として好まれている。

鰆は冬の間は太平洋の深場に生息しているが、水温が上がる春になると産卵のために瀬戸内海にやってくる。鰆は潮の流れがゆるやかな場所を好んで産卵するため、そこが大漁を狙える穴場となるのだ。

五色浜の鳥飼漁港で50年以上漁をしている大橋水産の大橋盛夫さん(71歳)によると、五色浜の海が一番潮の流れが弱く、鰆が大量にやってくるという。鰆の一大繁殖地だそうだ。

鳥飼漁港では春になると慌ただしく漁の準備が始まる。4月20日が鰆漁の解禁日。網を用意し船のメンテナンスも怠りなく、万全の体制でその日を迎えるのだ。

大橋水産の漁船「忠盛丸」

鰆漁はじまる

鰆を獲る漁船は15、6艘あり、漁場がかち合わないように3グループに分かれ、午後二時、三時、四時と時刻をずらして出港する。1グループにつき5、6艘の漁船が港に並び、時間になると一斉に漁場へ船を走らせるのだ。言うまでもなく良い漁場に網を仕掛けることができれば大漁は間違いない。陣取りは早い物勝ち。ゆえに船の速力は重要になる。港を出た漁師達はボートレースのごとく我先にと海へ全速力で駆け出していくのだ。

動画撮影:大橋水産

鳥飼漁港の大橋水産は、大橋盛夫さんの娘夫婦である宏樹さんと純子さんが漁に出向く。宏樹さんは漁師になる前は自動車ディーラーで車の整備士兼営業マンとして働いていた。その能力を生かして船の整備は自ら行う。万全のメンテナンスを施された船「忠盛丸」は鰆のごとく猛スピードで海の上を走っていく。

漁場の陣取りは早い物勝ちとはいえ、早く漁場へ到着すればいいわけではない。鰆が多く獲れそうな場所を見極めて漁場を定めるのだ。そこは魚群探知機の見極めと、鰆の習性を読みとる漁師の勘がものを言う。

漁場を定めると網を仕掛ける。鰆は帯状の網を流して仕掛ける「流し網」という漁法を使う。網の長さは約1500m、それを船をバックさせながら海に流していくのだ。鰆は泳ぎが非常に速く、一説によると瞬間時速は100kmにもなると言われている。猛スピードで泳ぐ先に網を仕掛けることができれば、鰆が網に刺さり捕獲出来るという寸法だ。

一般的には流し網と呼ばれている漁法だが、鳥飼の漁師は「鰆流せ(はるながせ・さわらながせ)」と言う。鰆と書いて「はる」と読ませるその言葉の巧みさ。いつからそう呼ばれてきたのだろうか。漁師歴50年以上の大橋盛夫さんによると、鳥飼の漁師は昔からこう言っていたのだという。土地には特有の言葉があり、言葉を介して受け継がれる「何か」が存在する。鰆流せも、そうした先代からの命が息づく生活語の一つなのであろう。

夕方6時から網を仕掛けて待機し、日がすっかり落ちて暗くなった7時半頃に、網を引き上げていく。ローラーによって引き上げられた網には大きな鰆が何匹もかかっており、手際よく網から外していく。暗闇の中、船上で水しぶきを浴びながら次々と鰆を網から外していくのは大変な作業だ。時には深夜まで続くこの作業を夫婦二人で行う。

妻の純子さんは今では珍しい女性の漁師だ。父、盛夫さんの家業を受け継ぎ、婿養子となった宏樹さんと一緒に漁に出ている。普段はおっとりとした様子だが、仕草や言葉使いにおおらかで逞しい漁師らしさが垣間見える。

引き上げた網にかかった鰆を手際よく外していく(動画撮影:大橋水産)

網の引き上げは機械で行うが、その昔、盛夫さん(71歳)の若かりし頃は人力で引っ張り上げていたという。その時一緒に船に乗っていたのは、盛夫さんの妻、まり子さん(69歳)だ。網には1匹2kg以上もする鰆が数多くかかっている。その網を二人で引いていたというから凄い話だ。ちなみにまり子さんは身長150cmほどの小柄で優しいお母さん。そんな力があるようには到底見えない。過酷な環境で行われる漁師の仕事は、今も昔も大変な肉体労働である。

引き上げ作業を終え、通常は夜中の10時頃に帰港する。だが大漁の場合は明け方近くまでかかることもあるのだという。

船内は水揚げされた鰆で埋め尽くされる(動画撮影:大橋水産)

翌日の朝6時、鳥飼漁港には鰆漁から戻ってきた忠盛丸が静かに停泊していた。船の側には水揚げした鰆が大量に入れられた大きな箱と、空の発泡スチロール箱の山。これから獲ってきた鰆を発泡スチロールの箱に入れていく出荷作業をするのだ。漁は宏樹さんと純子さんの二人で行うが、出荷作業は、父・盛夫さんと母・まり子さんも加わり、総勢4人で一斉に行う。

(左)母・まり子さん(右)娘・純子さん
獲った鰆は大きな箱に入れてある。鰆を取り出しやすいように出荷直前に余計な氷や海水を取り除く。

昨夜獲った魚を一匹ずつ取り出し、発泡スチロールの箱に収める。1箱につき2~3匹、だいたい7~10kgになるように重さを確かめながら入れていく。鰆を入れた発泡スチロールの箱は、次々と軽トラックの荷台に載せられる。今回の漁の成果はおよそ250匹、まずまずの獲れ高らしい。今年は漁の始めにしてはたくさん獲れるとのこと。気温が暖かいため鰆もいつもより早く出てきているようだ。

「○○君とこはなぁ、500匹獲れたらしいで!」と嬉しそうに話す母・まり子さん。漁師達は協力して漁場を守る仲間でありながら、競争相手でもある。どうやら他の船が何匹獲れたか気になるようだ。ちなみに父・盛夫さんと母・まり子さんの最高記録は一晩770匹! 人力で網を引き上げていた時代に、二人で大記録を打ち立てたのである。

鳥飼のベテラン漁師、父・盛夫さん
元自動車ディーラーの整備士兼営業マン・宏樹さん
網には鰆以外の魚もかかる
これはヒレがキレイな青緑色のホウボウ

昨夜遅くまで仕事をしていたとは思えないほど疲れ知らずで働く宏樹さんと純子さん。「腰いとうなるわ」と言いながら鰆の入った7〜10kgの箱を軽々と運ぶ父・盛夫さん。一箱に入れる重量をついつい多めに入れてしまうお母さん。四人の漁師達は手際よくどんどん箱詰めを行い、1時間ほどで全ての鰆を箱に詰め終えた。

箱詰めした鰆を港内にある組合へ運ぶ

生活の一部だった鰆

箱詰め作業を終えて出荷に行く宏樹さんと純子さん。父・盛夫さんと母・まり子さんは船をきれいに洗い上げて、仕事はこれでひとまず終了である。

鳥飼で生まれ育ち、50年以上五色浜で漁師をしてきた盛夫さんとまり子さん。昔の人は鰆との付き合いがもっと密接であったことを話してくれた。

田植えが済んだら「泥おとし」と言って、鰆を1本ふるまって労をねぎらったこと。すぐ隣の香川県では、里帰りをする嫁は必ず実家に鰆を持って帰ったこと——。春を告げる鰆は食材としての存在を超え、生活の一部として暮らしに寄り添っていたのである。

餌を追い求めて集団になった鰆が水しぶきを上げることで海が白く見えることがある。その様子を五色浜の漁師は「しらわき」と呼ぶ。「鰆流せ(はるながせ)」といい、漁師達は情緒がありながらも実に的確に、自由自在に言葉を扱っている。その事実に驚きながら漁師夫婦を見上げると、日に焼けた顔を向けて笑っていた。五色浜の漁師は気さくでおおらかなのだ。

五色町出身、高田屋嘉兵衛の生涯を描く司馬遼太郎の小説

五色町出身の作詞家・阿久悠が手掛けた曲を厳選し収録したアルバム

SHARE
  • URLをコピーしました!
目次