東京から来た料理人(4)

壺坂酒造にて杜氏の壺坂

壺坂酒造ではこの日開催されていた蔵開きイベントがそろそろ終了しようとしていた。遅れてやって来た城田と関が壺坂酒造の店内に入ると、壺坂と飯塚が笑顔で出迎えた。お土産にと自家製のからすみを壺坂に手渡す城田。紀風の料理人が手ずから作ったからすみである。酒に合わない訳がない。壺坂酒造のイベントには上等すぎる酒肴である。城田自らがその場で切り分けると、お酒のカップを持った大勢の人が集まってきた。

「旨っっっっ!」

今日のイベントで射的屋のオッサンを務め上げた飯塚がからすみを口にして声を上げた。彼はこれから車を運転しなくてはならないため、極上のからすみを肴に酒が呑めないことに、心中落涙、非常に悔やんでいた。関は播磨古今が入ったカップを片手に、ほっとした表情でからすみを楽しんでいる。予想外のウォーキングはさぞや疲れたことであろう。

この日のイベントには壺坂酒造の常連が多く参加していた。その一人で播磨日本酒プロジェクトでともに酒造りをしている仲間がいる。彼の名は小澤賢二。この日もお酒を並々と注いだカップを片手に満面の笑顔でイベントを満喫していた。

小澤は播磨日本酒プロジェクトのインスタグラムも愛読しており、それがきっかけで播磨の歴史にも興味を持ったようである。休日には趣味のロードバイクで播磨の歴史跡を訪れているらしい。趣味が高じていつもコーデはサイクルウェアである。

「オレ播磨国風土記もネットで買ったんや!」

小澤はなんとこんなマニアックな本まで購読していたのだ。

「けどあの本漢文で書いてあるから、オレ何となく読んでるねん~(笑)」

そう日本酒片手に嬉しそうに話す小澤──どうやら彼は、原文だけが記載されている本を購入してしまったようである。現代語訳も出版されている旨を伝えると「知らんかった~」と嬉しそうに言いながらまた一口呑む小澤。彼は日本酒を心底愛しているのだ。

小澤を始めとした日本酒を愛する仲間達に支えられて、播磨日本酒プロジェクトのお酒は出来上がる。杜氏だけではない、様々な人の手によって生まれるお酒なのだ。

壺坂酒造ではわずかな時間しか滞在できなかったが、城田と関は蔵見学や飲み比べなど、イベントを一時楽しんだ。空が赤く染まり始めた頃、城田は壺坂と飯塚、関と別れを告げ、夢前町を去って行った。

城田澄風のからすみのように濃厚な夢前の旅はこうして終わりを告げたのであった。


しかし城田の一日はまだ終わってはいない。この後、仕事で夢前に来られなかった今西と神戸で落ち合う約束をしているのだ。しかも今夜は写真家の石丸も神戸にいるという。城田は急ぎ足で神戸へと向かった。

神戸のレストランにて、今西(左)と城田

神戸で合流した城田と今西は、レストランでワイングラスを傾けながら、再会を喜び語り合っ ていた。話題は夢前町のことである。今日の体験談を嬉しそうに話す城田。客観的に見ると、彼は一日中夢前町内をキャラの濃い町民達によってぶんぶん振り回されただけのように見えるのだが、本人にとっては濃厚な良い体験だったのであろう。

そんな二人の楽しそうな様子を隣のテーブルからちらちらと盗み見る男がいた。石丸である。 彼もこの店に来ていたのだが、クライアントと一緒であったために今西達とは同席していない。 だが、今西と城田の話が気になるようであった。

石丸は四月の土探し以降は夢前町を訪れていない。写真家として成功を収めている彼は非常に多忙で海外での撮影も多い。行きたくても行けない状況であった。しかしながら石丸は多くの大手企業の広告写真を手がける日本を代表する写真家である。こんな田舎のお金も出ないようなプロジェクトに参加せずとも何も問題はないどころか、インスタグラムで妙な写真や動画を発表されて輝かしい実績に響く恐れがある。それなのに、人の良い石丸は自ら撮影した画像を快く提供してくれた上に、同プロジェクトのことを気にかけてくれているのだ。

石丸は思った──こんなに欠席ばかりしていて「石丸は多忙ゆえ参加できず」などと毎回インスタグラムで書かれていては、写真で例えるなら集合写真を撮る時に限って休んでしまい片隅に丸枠の写真で合成のハメに合う学生と同じではないだろうか──。

淡い焦燥感を抱えていた石丸であったが、食事を終えて店を出たところで今西と合流し、久しぶりの再会を喜び近況を報告し合ったのであった。

写真家・石丸

彼は現場に参加できなくとも、播磨日本酒プロジェクトのことを気にかけてくれている。その温かい思いを胸に、酒造り、酒器作りに精を出そう。そう思う夏の終わりの夜であった。

東京へ帰っていった城田。彼は若葉が芽吹く山菜の季節になれば、天婦羅鍋を抱えてまた夢前町に来てくれることであろう。

(続く)

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