流離いのクリエイター(交流篇 1)

雪彦登山を終えた岡と壺坂、山本は、車を南へと走らせた。壺坂酒造に立ち寄り酒蔵見学をした後、飯塚の田んぼへと向かった。田んぼで米農家の飯塚と合流して、酒米の様子を見学しながら夢前町を南に下っていく。そろそろ陽が落ちようとしている。彼らはこの日の宿泊先であるニューサンピア姫路ゆめさきへと車を走らせたのであった。

一行が到着するとホテルマン・高山が出迎えてくれた。先ずは雪彦登山での汗を流そうと天然温泉へと向かう男達。そこへ一足遅れで陶芸家の今西がサンピアに到着した。高山から皆が温泉に行ったと聞いた今西は、荷物を客室に置くとすぐさま温泉に直行。オッサン達の裸の付き合いが天然温泉で繰り広げられる間にも、サンピアには夢前町民達が続々と到着していた。

湯上りの岡と壺坂、山本、飯塚、今西は、さっぱりと湯で上気した顔を揃えてサンピアの宴会場へと向かった。そこには新たなメンバーがすでに席に着いて、彼らの風呂上がりを待っていた。 宴会場にいたのは、夢前の農家のドンである夢前夢工房の社長・衣笠、農家レストラン且緩々(しゃかんかん)の社長・福岡、 ホテルマン・高山、葡萄農家の小山内である。関東からはるばるやって来た岡を歓迎するために夢前町民達が集まったのだ。これからこのメンバーで、夢前の知られざる歴史について学ぶのである。講師はもちろん、夢前史に造詣が深い福岡である。

ビールで乾杯を終えた後、福岡が資料を手にテーブルの前に立った。今から歴史の影に隠されてきた夢前史譚が語られるのだ。福岡は先ず、岡と壺坂、山本が登ってきた雪彦山のことから話し始めた。

雪彦山山頂にはかつて、西暦二百年から三百年頃に応神天皇が建立した祠があった。だが推古天皇の時代に、庶民が参拝しやすいようにと山の麓に降ろされる。それが現在の賀野神社である。

この神社は雪彦山大権現、雪彦山金剛鎮護寺と呼ばれる神仏集合の巨大な寺社となっていった。かつては妻鹿(めが・姫路市の瀬戸内海に面した地域)の海の中に雪彦山金剛鎮護寺第一の鳥居があり、そこから雪彦山まで三十キロメートル以上、姫路市を縦断する規模の土地をこの寺社が所有していたという。一寺社としてはとてつもなく広大である。雪彦山は857年から859年頃、玄常上人が修行して以来修験者の行場として大いに栄えたが、それ以前には空海もここで修行したと言われている。

そして時代は下り、鎌倉時代には雪彦山の懐にある山之内に後醍醐天皇の御所が建てられた。入居直前に京都へ帰還したため御所として使われることはなかったのだが、今でもこの地にはその跡が残されている。

山之内という地域は非常に謎が多い。この地で農家レストラン且緩々を経営する福岡は、地元の人々と関わる中で人々の意見が里ごとにあまりにも違うことを不思議に思ったという。その原因を探るべく夢前の歴史を調べるうちに驚くべき発見をしたのである。

山之内は谷ごとに五つの里に分けられるが、その里一つひとつの先祖が全て歴史を動かしてきた大物だったのである。

一つは出雲王朝系の一族。
一つは渡来系氏族である秦氏。
一つは平城京より流された阿彦氏。
一つは平安京より流された真壁左中将。

一つは平家。

こんな大物達が一箇所に住みつけばまとまるはずはない。

応神天皇、空海、後醍醐天皇、そして山之内の五つの里の氏族。一田舎に過ぎない夢前町であるが、歴史上の大人物達が時代を超えて訪れていたのだ。

建造物も錚々たる物が並ぶ。修験道雪彦山の懐にある広大な土地を所有していた雪彦山金剛鎮護寺。後醍醐天皇の御所。夢前町置塩地区には鎌倉時代末期から安土桃山時代にかけて播磨を支配した赤松氏族の置塩城が存在していた。播磨最大の山城である置塩城は、伊勢の内宮と出雲大社の直線上、中間地点に位置し、城主の赤松は織田信長、豊臣秀吉とも親交があった。その南には西の延暦寺とも呼ばれ武蔵坊弁慶も修行したといわれる書寫山圓教寺がある。

これだけの物が揃っているにもかかわらず圓教寺以外は全く目立っていない。いや、目立たないようになっていると言ってもいいのかもしれない。

姫路駅から車で北へ約30分、何の変哲もない地味な田舎であるが、この狭い地域には古代より歴史の影に埋もれた人物や建造物がひっそりとひしめいていたのだ。なぜ夢前町に古代より大物達が集ってきたのか。この土地には一体何が隠されているのであろうか。その謎はまだ誰にも解けてはいない──。

陶芸家の今西は大の歴史好きである。この日も福岡のロマン溢れる歴史講話にワクワクして聞き入り、時に質問を投げかけては楽しんでいる。置塩城に詳しい衣笠は地元民ならではの視点で福岡の話を補う。衣笠家の遠い先祖は赤松氏族であり、置塩城が廃城となった時に武士から農家になったのだという。山本、壺坂と岡も興味深げに会話に入り、真面目な高山は真剣な眼差しで福岡の用意した夢前町の地図を見つめている。

そして、おそらく歴史が苦手であろう米農家の飯塚と葡萄農家の小山内。終始黙りこくってビールをちびちび呑む彼らは「飯はまだか」と心で訴え、資料の表面に目を滑らせるのであった。

福岡による夢前史講話が終わり、隣のテーブルで食事の用意が始まる頃、新たなゲストが登場した。坊勢島(ぼうぜじま)の漁師・小林と前田である。

坊勢島の漁師・小林と前田

坊勢島は姫路港から南西に約18キロメートル、瀬戸内海に浮かぶ島である。この島の近辺は魚種が豊富で水揚高は県内一を誇り、住民のほとんどが漁を生業とする漁師島である。彼らとは以前、播磨日本酒プロジェクトのイベントに魚を食材として提供してもらったことから付き合いが始まったのだ。

海の男は精悍な顔立ちで筋骨逞しく、気性は荒くも情には厚い。二人のイカツい男達の登場で、 場の雰囲気も一気に「学」から「宴」へと切り替わる。

酒好き達の酒宴の始まりである!

(続く)

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