流離いのクリエイター(交流篇 3)

翌朝、今西と岡と飯塚の三人はサンピアのレストランで朝食をとっていた。昨夜は午前3時過ぎまで呑んでいたにもかかわらず、元気な三人である。この日も好天に恵まれ、窓からは初秋の涼しげな朝日が差し込んでいる。

岡は食後のコーヒーを飲みながら、酒器に使う土について今西に質問をした。今西は4月の土探しの際に田んぼの土と山の土を手に入れた時の話を交えながら土について語りだした。

「夢前と丹波の土はけっこう似てるねん。」

今西の窯は兵庫県東部の丹波にある。作陶に適した良質の土が丹波で採れるのだが、夢前の土が丹波のものと似ているようだ。焼物には地味だけど使いやすい、夢前らしい土だという。

酒器作りに必要な土の目処はついている。後は器に使う釉薬(ゆうやく)が必要である。

釉薬とは陶器の表面にかける薬品である。釉掛けして焼くことにより特有の光沢や様々な色や模様を表現することができるのだ。釉薬は鉱物や植物を焼いてできた灰をベースに作られる。市販のものが簡単に手 に入るのだが、一流の陶芸家は釉薬の原料にもこだわり、自ら調合してオリジナルのものを作製するのである。

播磨日本酒プロジェクトの酒器の釉薬には、当初から酒米の稲藁を使う予定で話を進めていた。稲刈り後に藁を焼いて、釉薬の材料とするのである。夢前の土と酒米の稲藁で作り上げた酒器で、風土と歴史を感じながら酒を愉しむ──。ロマンを解する大人のための贅沢な酒器が出来上がるであろう。

その時、土の話ついでにと思ったのか、今西はコーヒーを飲みながら飯塚にとって驚くべき事実をさらりと告白した。

「もしかしたら俺、言うてなかったかもしれんねんけど、釉薬って稲藁だけじゃできひんねんやんか~。」

酒器に使う釉薬は稲藁さえあればできると思っていた飯塚は驚愕した。今西によると他の植物の灰も必要なのだという。他の植物といっても何を用意したらいいのだろうか。播磨日本酒プロジェクトの酒器にふさわしい釉薬となると、そこら辺にある雑草を抜いてくるわけにはいかない。そう思案している時に、我々は前日の雪彦登山でのあの男の言葉を思い出した。

そう、雪彦山の山道で山本弘が呟いた一言である。登山道の整備で出た間伐材を釉薬の材料として利用してはどうだろうか。雪彦山は夢前が誇る修験道の山であり、この山の伏流水を使って壺坂酒造のお酒は造られる。雪彦山の植物であれば播磨日本酒プロジェクトの釉薬の素材として最高である。

昨日のあの雪彦登山は無駄ではなかった。東京へ行ったり山に登ったり、ただ酒を呑んでは酔い潰れたりと、一見横道に逸れまくっている播磨日本酒プロジェクトであるが、我々は酒を呑んで辛いことや大事なことを忘れながらも酒器作りのことは忘れない。酒好きの夢とロマンを詰め込んだ夢前の酒器を完成させるのだ。

岡と今西は相部屋

ホテルのチェックアウトを済ませた後、岡と今西と飯塚は、酒米の様子を見に飯塚の田んぼまで車を走らせた。9月後半、晩生である酒米の稲穂は上を向いており、刈り取るにはまだまだ早い。 だが少し黄色みがかった稲の葉は、収穫の時期がそう遠くはないことを教えてくれているようだ。 岡は晴れ渡る青空を背景に、秋風に稲穂が揺れる田園を撮影した。

午後から農作業を控えた飯塚と田んぼで別れ、岡と今西はランチを食べに夢前川沿いにある「夢乃そば」へと車を走らせた。ここは夢前の大手蒲鉾メーカーであるヤマサ蒲鉾の別館であり、ランチでお蕎麦や蒲鉾、天婦羅を楽しめるのだ。

店内に入った岡と今西は蕎麦と天婦羅セットを注文した。「天婦羅セットを頼んだのに天婦羅が付いてない!」と言いながら天婦羅にかぶりつく関東出身の岡。関東では魚のすり身を揚げたものを「さつま揚げ」と呼ぶが、関西ではそれを天婦羅と呼ぶのである。二人は蕎麦をすすりながら夢前の旅を振り返っていた。

千葉と東京を拠点に動画制作を行うクリエイティブディレクターの岡は、現在の広告業界に蔓延する表現に疑問を抱いていた。クリエイティブな世界に身を投じる者達は皆、表現することに情熱を注ぐ。しかしながら己を知らないままでは、その創造はいずれ行き詰まることになる。それはクリエイターだけではない。どんな職業、どの立場に身を置いても同じことではないだろうか。岡はそのことを現場でまざまざと感じ、業界に危機感を持ったのであろう。

夢前町は全国で唯一町名に「夢」という文字が付く町である。日本の故郷を思わせるのんびりとした田舎で遊び、美味しいものを食べ、ゆったりとした時の中で自分の夢を思い出してもらいたい──夢前町はそんなコンセプトを掲げて、町民達が地域活性化に取り組んでいる。

仕事に励み、時に悩み、笑いながら酒を呑む町民達と交わり、岡が何を感じたかは分からない。特に何も
得るものはなかったかもしれないが、彼は終始笑顔で楽しそうであった。

右から岡、今西、ヤマサ蒲鉾のスタッフ・片山。ヤマサ蒲鉾の前で記念撮影。

岡は、次は坊勢島の漁師船を撮影したいと言いながら関東へと帰っていった。播磨の魅力に興味を持ってもらえて何よりであった。暑さ寒さも彼岸まで。岡が関東へ帰ると同時に残暑も落ち着き、夢前に本格的な秋が訪れだした。

陶芸家として第一線で活躍する今西は、自身の仕事のあり方についてある言葉を我々に語ってくれたことがある。この章は作陶の場で己を表現し続ける彼の言葉をもって幕を閉じようと思う。

創ることは生き方を提示することである
物を創る人間は、生死を越えて魂を共感できる

陶芸家・今西公彦

(続く)

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