自然を守った男

登場人物紹介

木の葉がすっかり赤く染まり、冷たい風が山から吹き下り始めた。山本弘と播磨日本酒プロジェクトのスタッフは、登山道整理と釉薬の材料採取のため、11月30日に雪彦山へ行く予定を立てていた。

30日の早朝、山本弘からスタッフに電話があった。何か急な予定が入ったのかもしれない、そう思いながら弘の話を聞いていると、何やら嬉しいことがあったようで興奮気味に話を詰めてくる。話が長くなりそうだ。弘とは雪彦山付近で待ち合わせをしているので、どうせもうすぐ会うのだからそこで話をしようと持ちかけると、彼は驚いた様子でこう答えた。

「えぇ? わし今日、なんか約束しとったんか?」

一ヶ月前に山本と喫茶店で打ち合わせをした際に「11月30日に雪彦山に行く」と弘自ら書き込んだ彼のスケジュール帳は役に立たなかったようである。

スケジュール帳に予定を書き込む弘


すっかり約束を忘れていた弘を急き立て、1時間後には雪彦山の麓で無事合流することができた。ノコギリや鉈、紐、ハサミなど登山道を整理するための道具を持ち、お弁当とお茶をバッグに入れ、前回の雪彦登山とは違って準備万端である。弘とスタッフは麓の登山口から雪彦山へと入っていった。

穏やかに晴れ渡り、澄みきった冷たい空気が心地よい登山日和である。前回雪彦山に登った際は山の中腹の登山口から入ったが、今回は材を運びやすいように麓の登山口から入ることにした。 雪彦山は修験道としても有名で険しい難所だらけの山であるが、麓付近は傾斜が緩やかで歩きやすい。だが登山口から五分も歩かないうちに、我々は山の現実を知ることとなった。

広く開けた 道の左手からは大木が倒れかかり、右側の雑木にもたれかかっている。右手は沢となっているが、そこは倒れた木々や下草で荒れ放題となっている。台風などの自然災害が続き整備が追いつかないため、このような荒廃が至る所で見られるのだ。

登山口から15分ほど歩いた所で弘は立ち止まった。どうやらここで整理をするらしい。ここは雪彦山のほんの入り口に過ぎないのだが、倒木や枯れ木がそこかしこで登山者の行手を阻んでいる。弘はノコギリを取り出して、手始めに道を遮っている直径15センチメートル、長さ3メー トルほどの倒れた木を切り出した。慣れた手つきで一箇所切り終わると、その木を長さ60センチメートルほどになるよう等分に切り分けていく。他の木も同様に長さを揃える。後でこれらの木を束にして持ち運びやすいようにするためである。

簡単なようであるが、この地道な作業を数時間も続けると体はクタクタになる。軽快に木を切り、慣れた手さばきで束にしながら弘は笑顔で言った。

「道を作るのは大変や。」

夢前の先人達はこの山を修行の場とし、生活の糧を得る場としながら山を大切に守ってきた。山を日常に活用しなくなった今、林業業者や行政、山本弘のような森林保護活動をする人達によって整理が行われているのだが、それでは到底間に合わないのである。

10数メートルはあろうかという大木が登山道の上に覆いかぶさるように倒れ込んでいる。この大木は山の斜面で根元から亀裂が入り、微妙な力加減を保ちながら折れることなく山道の上で宙に浮いたようになっている。いつ完全に折れて道に倒れ込んでくるか分からない危険なこの木を根元から切り落とすことになった。

ノコギリで根元を切り落とすと、大木はザザーッと大きな音を立てて山道に倒れ込み、道の柵の所で止まった。次に道を塞ぐような形になった大木をまたノコギリで切り分け、小枝は鉈で落 としていく。11月後半、夢前町はダウンジャケットが必要なほど寒い。にもかかわらず山道整理が終わった頃には汗だくとなっていた。

この日、午前中で整理できた登山道は50メートルほどである。これだけの時間をかけても山全体から見れば焼け石に水のようなものだ。森林整理には人員と継続が必要だということを身にしみて理解した半日であった。

道が整理されてきれいになった頃には、ちょうどお昼ご飯の時間となっていた。登山道の端に座ってお弁当を広げる弘。今日の約束をすっかり忘れていたにもかかわらずタイミングよく電話をかけてきた彼は、何を訴えたかったのだろうか。弘に電話の内容を尋ねたところ、彼は満面の笑みをたたえて答えた。

「わしの夢が叶ったんや!」

夢前町では10年前から産業廃棄物の最終処分場計画が進んでいた。山を愛する男・山本弘はそれに対する反対運動を続けてきたのだが、それが実を結びとうとう計画中止になったのだという。 産廃計画の是非についてここで論じることはしない。ただ、山を愛し10年間戦い続けてついに夢を叶えた男は、いつもより晴れやかな顔をしていた。

弘は幼い頃から両親と離れ祖母と暮らしていた。祖母は薬草に詳しく、近隣の人から頼りにされていたのだという。人に頼まれると山へ薬草を採りに行っていたが、忙しい時は少年だった弘が代わりに山奥まで走った。弘は事あるごとに祖母から「人の役に立つ人になりなさい」と言われていたのだという。人を思いやり自然とともにあった祖母なしに、今の弘はなかったであろう。

「お天道さんは見てるから。」

何気なく言った弘の一言は、昔の日本人なら誰もが普通に持ち合わせていた感覚なのではないだろうか。播磨日本酒プロジェクトの中でも最年長組の弘に教わることは多い。そして続けざまに彼は言った。

「嬉しさのあまり電話しちゃった(笑)」

今朝の電話の真相であった。

弘は播磨日本酒プロジェクトのインスタグラムについても気にかけていた。どうやら自分がネット上に露出していることは理解しているらしいが、どうやって確認したらいいのかが皆目不明のようである。

「どないして見るんや?」と問う弘にインスタグラムのアドレスを教えると、弘は例の役に立っているのかいないのか分からないスケジュール帳を取り出してメモをした。

「えー、播磨、日本酒……プロジェクト……いんたー……グラム……。」

弘が自力でインスタグラムを見ることができるかどうかは分からない。だが、彼は自身が写っている投稿画像を嬉しそうに眺めていた。

お弁当を食べ終えると整理した木々を束ねて下山の用意にかかる。束ねた木々はかなりの量があり、これを運ぶには何往復もしなければならない。おまけに釉薬を作るにはこれでもまだまだ足りない。後日改めて採集することを決めて、弘は持てるだけの束を抱えて下山を開始した。

文明の発展にはエネルギーとなり資材となる木材が欠かせなかった。故に古代文明が発展した地は、当時の過剰な森林伐採により現在は砂漠となっていることが多い。数千年前から森林破壊はあったのである。日本でも時代ごとに大規模な森林伐採が行われたが、自然との付き合い方を心得ていた先人達は、植林して山を育ててもきた。現在、日本が先進国でありながら森林保有面積が非常に高いのは、我々の先祖が自然を守り継承してきたお陰である。

しかしながら現代では別の問題が発生している。第二次世界大戦後の復興のために木材需要が急増した日本は、生育が早くすぐに材となる杉や檜の植林を全国で奨励した。一時、林業の経済価値は増大したが、やがて安い輸入品木材に押されていく。さらにエネルギーが石油や電気に置き換えられていく過程で国内の林業は衰退の一途を辿ることとなる。杉や檜の人工林は偏った生態系ゆえに自然のサイクルが機能しない。人の手が入らなければ荒廃し、山全体に影響を及ぼすのだ。山の荒廃は農業、漁業、自然災害にも大いに関係してくる。

雪彦山も例外ではない。山を守り次世代へと継承するために、山本弘をはじめとした自然保護活動家が陰ながら尽力している
のだ。


自然を良く見て、触れ、嗅ぎ分け、実を味わい、樹幹に耳を当て、風の音を聞く──五感を活用して自然と向き合うことが大事なのだと弘は語る。ちなみに夢前町の産業廃棄物の最終処分場候補地は自然公園となる予定らしい。弘はこれから益々活躍の場を広げることになるであろう。

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