水底に沈みたまひし遠つ祖を

1185年3月24日、源氏が平家を破る壇ノ浦の戦いがありました。

源平合戦最後の時、追い詰められた平家一門は船上から次々と入水自殺をしました。平清盛の正室であった二位尼(にいのあま)は、当時6歳だった孫である安徳天皇を抱えて海へ飛び込もうとするその時、安徳天皇に「どこへ行くのか」と問われます。彼女は幼い孫に、次の和歌のような内容を答えました。

今ぞ知る みもすそ河の ながれには
波の下にも 都ありとは

二位尼

訳)すぐにわかりますよ。誇り高いこの血筋です。この波の下にも都はございますよ。

そうして二人は海の泡となり消えていきました。

時を経て昭和の時代、山口県にある安徳天皇陵を訪れた昭和天皇は、安徳天皇を偲ぶ歌を詠んでいます。

水底に沈みたまひし遠つ祖(おや)を
かなしとぞおもふ書(ふみ)見るたびに

昭和天皇御製

今の自分と過去の遠い祖先を和歌で繋ぐ。言葉には不思議な力があるのだと思わされます。

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