西行の桜
西行は平安時代後期の僧です。
文武両道、容姿にも優れ、若い頃は皇室直属のエリート警備部隊「北面の武士」に所属していました。華やかな環境で将来を約束されていたにも関わらず、突如22歳という若さで出家をします。
それからは特定の宗派に属さず、各地を放浪したり山里の庵に住みながら、悟りへの道を追求していきます。
西行は和歌に優れた人で、和歌で自身の心の迷いや弱さを詠み、自己と向き合っていきました。西行にとって和歌とは、お経を詠んだり瞑想したりすることと等しいものだったのです。
僧でありながら、西行は蓮の花ではなく、桜をこよなく愛しました。桜の和歌を数多く残していますが、とりわけ有名な歌が次のものです。
願はくは花のもとにて春死なむ
その如月(きさらぎ)の望月の頃
如月の望月とは旧暦2月15日頃の満月の日のこと。釈迦の命日であり、新暦でいえば3月で桜が見頃を迎える頃です。そんな如月望月の頃に、願わくば満開の桜のもとで死にたいものだと詠んだ和歌です。
この和歌を詠んだ十数年後の旧暦2月16日、桜が満開の頃に西行は亡くなりました。
日本には、優れた歌人の言葉は事実その通りとなる、という言霊信仰がありましたが、西行の歌と死について、当時の人々は驚きをもって崇敬したそうです。