【3/26】田起こし〈耕起編〉
3日間田んぼに堆肥を撒き続けた女子二人
いよいよ耕す日がやってきた
本日、トラクターが初出動する
耕 田
起 起
編 こ
し
米作り朝仕事。その時、事件が起こった。
ブロロロロロ……。
広島県安芸太田町、村の中を堆肥を積んだ軽トラックが走っている。慣れた手付きで軽トラックを軽快に運転するのは、米作りメンバーの一人、魚市場に勤務する中下さん(女性)だ。つい3日前に緊張の軽トラデビューを遂げたばかりとは思えない、軽やかなハンドルさばきである。
彼女が働く魚市場の勤務時間は午前1時から午前8時。仕事を終えてすぐに田んぼまでやってきたのだ。今日で米作りを始めてから4日目。だが疲れを見せる様子は全くなく、むしろ日に日にパワーアップしてるような気すらさせる彼女は末恐ろしくも頼もしい。
今日も朝から堆肥撒きである。田んぼ3枚のうち、先日までの3日間で2枚半撒き終えた。これからお昼までは、先日と同様に堆肥散布をするのだ。
4日目ともなれば、中下さんも原田も手慣れたもの。まるで10年以上前から堆肥を撒いてます、とでも言いたげな綺麗なフォームで堆肥を手際よく撒いていく。
仕事も半ばに差し掛かった頃、田んぼに一人の男性が現れた。安芸太田町の町会議員、中本さんである。年の頃は70代前半、長年地元の発展に尽くしてきた中本さんは、田んぼにスーツ姿でも違和感なく、安芸太田町の自然豊かな風景に溶け込んでいるところはさすがである。
中本さんは、山盛りの堆肥を手に持って豪快に田んぼに撒き上げるアスリートさながらの女子達を見て、驚きの声を上げた。
「今時こんなやり方してる人がいるんやね(驚)!」
「うちの機械貸そうか?」と不憫に思われる始末。だが心配無用、この二人はただの農業女子ではない。バリバリの体育会系である。そもそも基本的に人より少し体力がある上に、この3日間でさらに鍛え上げられた筋肉は伊達ではない。今ならマンモスでも仕留めることができそうな勢いである。
マンモス女子二人の鮮やかな仕事ぶりを、感心しつつも驚きながら見守る中本さん。その時、事件が起こった——。
すぐ隣の田んぼで軽トラックが立ち往生している。よくよく見てみると田んぼのぬかるみにタイヤがハマっているようだ。軽トラの側にいるのは村の長老・寺田翁である。
寺田さんは米作りの相談にも丁寧に応じてくれる、頼れる村の長老である。そんな長老の危機を放おってはおけない。すると、中本さんがすかさず助けに動いた。
議員の仕事は民の意思を汲み取り、国政へと反映させることである。だが、田舎の議員はそれだけでは務まらない。農業相談、自然災害の対応、獣害被害対策など、田舎ならではの仕事が山程あるのだ。ぬかるみにハマった軽トラの救出など彼にとってはお手の物。スーツの裾も気にせずさっと田んぼへ降りて寺田翁を手伝う中本さん。重機で牽引され、難なくタイヤは救い出された。
あまりの手際良さに、側で見ていたアスリート系女子・中下さんは感心しながら思った。(私もこれからいろんな経験の中で、トラブルにも臨機応変に対処できる経験値をつけていかないと!)
救出作業を終えて中本さんは議員の仕事へ戻っていった。堆肥散布も一段落し、中下さんと原田は昼食をとることにした。今日のお昼は、村の廃線となった鉄橋の下で山桜を眺めながらお花見ランチである。ランチと銘打ったものの、その実はスーパーのざる蕎麦弁当。言うまでもなく、弁当そのものの味は想定を超えることはない。
今を盛りと山のあちこちで咲き誇る桜の下、雪解け水が川面を流れていく。穏やかな田舎の春は最高のロケーションとなり、体を思いっきり動かした後ということもあって、スーパーのざる蕎麦は一流職人が打つ蕎麦にも勝る程の美味しさとなる。
山の木々が季節の変化をうったえかけてくる。川で甲羅干しをする亀、気流に乗って優雅に空を舞う鳶。自然の中に身をおいてほぉっと一息つく、このなにげないひとときが何とも贅沢だと原田は感じていた。
トラクターマスター誕生
中下さんと原田はランチを終えて大満足で田んぼに戻ってきた。聞こえてくるのは鳥の囀りや川のせせらぎばかり、そんな静かな村の農道の向こうからバイク音が響いてきた。どうやらこっちに向かってくるようだ。
白に輝くスポーツタイプのバイクに乗って颯爽と現れたのは、もう一人の米作りのメンバー、倉橋マスターである。マスターと呼ばれるのは、彼が広島市内でバーを経営しているからだ。
午後からは田んぼを耕していく。堆肥は人力で撒くという、地元のお年寄りも驚く昔ながらの方法で行ったので、耕起作業も鍬(くわ)で人力かと危ぶまれたが、そこは村の人からトラクターを借りることができたので一安心である。問題は、全員がトラクター未経験者であることだけ——大問題である。
村の人からトラクターの運転について教えてもらう。なかなか難しそうだ。説明の半ばに差し掛かった頃には、倉橋マスターを除くメンバーに、ある共通の認識が芽生えていた。
(バイク、乗ってきたよね)
(あれ乗れるなら、いけそう……)
口に出すことはなくとも存在する不思議な連帯感。倉橋マスター以外のメンバーは説明の輪から一歩、また一歩と退きだした。説明が終わる頃には、ごく自然にトラクターに乗せられていたマスター。乗り手は決まった。
「ではマスター、お願いします!」
運転する気はさらさらないと意思表明するかのようにきっぱりとお願いする原田。まんざらでもない様子でキリッと口の端を上げるマスター倉橋。いよいよ素人達の米作り、トラクターの初陣である。
ゆっくりと動き出すトラクター。ハンドルをとられないようにしっかり握り、前方と足元を交互に確認しながらトラクターを操るマスター。その様子を固唾を呑んで見守る中下さんと原田。
3日かけて撒いた堆肥がトラクターの足元で土と混ざっていく様子を見て、中下さんと原田は思わず声を上げる。一つひとつに色んな人の手が入って、モノが作られていく。その様子をリアルに体感した瞬間であった。
トラクターは定規を引いたように真っ直ぐに進んでいく。トラクターが走った後は盛り上がった土が線となって続いていく。耕起によって描かれた土の線はきれいな直線であった。
実はトラクターは乗用車と違い、地面の凹凸の影響を直接受けるため運転が難しい。真っ直ぐ走らせるようになるまではかなりの修練が必要となる暴れ馬なのだ。初めての運転でこれだけきれいに耕せるのは非常にレアケース。さすがここまでバイクでやってきただけのことはある。また、マスターのドライビングテクニックを瞬時に見抜いた2人もなかなかの彗眼である。
真っ直ぐに耕起された田んぼ
1枚目の田んぼの耕起を難なく終え、2枚目の田んぼに移ろうと移動を始めるマスター。トラクターは農作業の中でも事故が多く、特に田んぼに出入りする際に転倒する確率が高い。田んぼから田んぼの移動は素人には大きな壁となるのだ。
慎重に1枚目の田んぼを出るトラクター。倉橋マスターはゆっくりと的確にハンドルを操り、2枚目の田んぼへ入る。田んぼの移動は危なげもなく成功した。もはやマスターの肩書はバーの主人ではなく、トラクター乗りの称号に付けられるに相応しいものとなっていた。
お気に入りのシガーを咥えながらクールにトラクターを操る男、トラクターマスター倉橋が誕生した瞬間であった。
この時のシガーはRomeo y Julieta Romeo No. 2/CUBA
それぞれの見える景色
トラクターで耕起するなど農家にとってはごく当たり前の作業であるが、素人達にとっては一つひとつが新鮮な体験だ。
ある人にとっては当たり前の事が、別の人にとっては大変な仕事に見えたりする。しかしながら、知らない、出来ない、挑戦しないことで、物事の捉え方を自ら小さくしていることはないだろうか。モノを作る過程を実際に体験したからこそ、色々な側面から分かることがある。分かることで、モノを生み出す「プロの仕事」に対しても尊敬の念が自然と芽生えてくる。
知ったこと、体験したことで、見える世界は確実に広がるのだ。
田んぼの端から見る景色と、田んぼの中でトラクターに乗りながら見る景色は、同じであっても全く違う見え方になる。シガーを咥えながらトラクターを軽快に操る倉橋マスターと、ハードワークの後に鉄橋の下でランチを食べた中下さんが見た山桜は同じものであるが、目に写る色は全く違うものであろう。
魚市場で働く中下さんは午前1時から仕事があるため、作業半ばで後ろ髪を引かれながら帰路へとついた。倉橋マスターと原田も、2枚目の田んぼの耕起を終えたところで作業を終了し、「本日のお土産」の収穫に向かう。
この日のお土産は小松菜の花芽である。生でかじっても甘く、バター炒めやペペロンチーノパスタにしても良い。最高のビールのお供となるだろう。
お土産を手にした倉橋マスターはバイクにまたがって帰っていった。マスターを見送った原田は、振り返って田んぼを見た。堆肥撒きがまだ少し残っている。明日から雨が続くため、今日中に何としても終わらせてしまいたい。
田舎の田んぼの真ん中でただ一人、堆肥を撒く原田。日は落ちると入れ替わるように月が上る。原田は辺りが暗くなっても構わず、堆肥を撒き続けた。
田舎で農業をやってる若い人達を、都会に住む人達が、「良いよね~。自然豊かでのんびりと生活して」と言っていたりする。しかし実際に彼らの暮らしぶりを見てみると、とてもじゃないが「ゆとりある生活」とは言えない。日が昇る前、日が暮れてからも頭にヘッドライトをつけたり、トラクターの明かりを煌々とたいたりして、農作業を行っているのだ。
年々価格破壊が起こり、作っても生活できる値がつかない。10年前から米農家1人100反と言われていた。単価が安いため1人で担う面積は広くなり、いくら機械が進化しても1人で作業を行うと働いても働いても追い付かないのが現実である。
月明かりの下、堆肥を撒きながら原田は思った。
(物の価値は誰の基準で決まるのか……。皆がわかったつもりでも体感として知らないから、仕事に対して正当な価格がつかないのだ……。病気や怪我を治療する医師を『先生』というのなら、私たちの肉体維持や、人との対話・心の安らぎを与えてくれる“食”をうみだす生産者も『先生』というべきではないだろうか。私は、普段は商品の売り方や事業の進め方をアドバイスする立場だけれど、飯塚君から米の作り方を教えてもらい、実際にそれに沿って作業を進めると、色んなことを考えさせられる……。)
月明かりを頼りに作業を続け、午後7時35分にようやく堆肥を撒き終えた。
(田んぼ3枚の内、1枚はまだ耕起ができてないが何とかなるだろう)
そんなことを思いながらふと山際に目をやると、夜桜が月明りに照らされて何ともいえない幽玄の世界が広がっていた。原田もまた、彼女だけの景色を見つけたのだ。
後日、堆肥を2トン撒けばよいところを4トンも撒いていたことに気づいて驚くことになるとはつゆ知らず、達成感を胸に家路へと向かう原田であった。
(続く)
【3月26日】
時間:10:00-17:00
時間:18:00-19:35(人数:1人+犬2匹)
内容:堆肥散布・耕起
堆肥量:軽トラ2杯分
堆肥散布:田んぼ600㎡の1/2
耕起:田んぼ2枚分
【使用した農具】
トラクター1台
軽トラック1台
シャベル
手箕
鎌
【堆肥】
バーク堆肥
田起こし1回目の総堆肥料:4トン
ロメオYジュリエッタ No.2
倉橋マスターの店・bar tre