砧の型
麻やこうぞなど植物繊維でできた布は、洗うと硬くなるので、昔は木槌で布を打ち付けて柔らかくしていました。それに使う台を砧(きぬた)といいます。今でいうアイロンのようなもので、現代ではほとんど見られませんが、昔は女性がする夜なべ仕事の一つでした。
秋の夜長にどこかの家から聞こえてくる砧を打つ音はどこか物悲しく、哀愁を誘うとのことです。秋の季語にもなっています。
とはいえ、砧の音など聞いたこともなく現物も知らない私たちは、秋の季語で物悲しいといわれても全くピンときません。
砧の情景を知る手がかりとして、現代に残されているものには、和歌や漢詩、俳句、箏曲、能などが挙げられると思います。
能の演目「砧」は、都へ行ったまま帰らない夫を待ち続けた女性の感情を描いた物語です。待てど暮らせど帰らない夫を恋い焦がれそれがいつしか恨みとなり、とうとう死んでしまい亡霊となって夫の前に現れるというストーリー。夫を待つ夜に、都まで届けと思いを込めて打つ砧がこの演目の要となります。
舞台では砧は小道具として登場するだけで実際に打つわけではありませんが、能の世界に入り込んでみると、「砧=秋の物悲しさ」というある種の型のようなものが確かに感じられます。打ちつける音も聞こえてくるようです。
実物がわからず想像で補うしかないようなものでも、不思議と心を打つものがあります。もちろん能や和歌、漢詩など表現の力量によるところが大きいのでしょうが、その根底には、日本人が代々暮らしの中で築き上げてきた道具と感性の「型」があり、それを感じ取っているような気がします。