カミングアウトは既にしていた
10月11日はカミングアウトデー。LGBTQの人々を祝い、認知度向上を目指して制定されました。
1987年10月11日アメリカのワシントンで、差別撤廃とエイズ治療予算増加を訴えるため、ゲイとレズビアンによる行進が行われました。これをきっかけに多くのLGBT団体が発足しており、カミングアウトデーはこの日を記念日としています。
LGBT問題はアメリカを起源にして、その問題提起は海を渡って日本にもやってきます。2000年代後半より「LGBT」という言葉が日本でも使われだし、社会問題として広く認知されるようになりました。
ここでLGBT活動が盛んなアメリカ及びヨーロッパ諸国と日本の文化背景を見てみると、ざっくりと大きな違いがあることがわかります。
アメリカ、ヨーロッパ圏のメイン宗教であるキリスト教、ユダヤ教、イスラム教は古代より同性愛を厳しく禁じてきました。
女と寝るように男と寝る者は、両者共にいとうべきことをしたのであり、必ず死刑に処せられる。彼らの行為は死罪に当たる。
(旧約聖書 レビ記20-13)
一方の日本では、同性愛は特に禁じられることはありませんでした。男色は一つの文化として仏教徒を中心に行われていたことが奈良時代の文献に記されています。能の立役者である世阿弥と足利義満も蜜月の仲であり、同性愛を主題にした演目が創られています。戦国時代になると男色は武士のステイタスや出世の手段となり、江戸時代では男娼の方が女娼より安いことや、江戸の人口割合が男性の方が多いという致し方ない事情もあって、男色は普通に行われていました。江戸時代のベストセラー「東海道中膝栗毛」の主役である弥次さんと喜多さんも恋人という設定です。
今でいうセクハラパワハラ的な問題もあったり、衆道という真面目な男色精神論のようなものも出来上がったりしながら、日本は性愛についてはかなり寛容でした。
こうして歴史的背景を見てみると、アメリカ・ヨーロッパ圏は同性愛を否定する文化があったため、それを解決すべくLGBT活動が盛んになったことがわかりますが、日本では同性愛を否定する文化はなく、むしろ受け入れてきたため、LGBT活動を推進する決定的な土台がないことがわかります。
土台がないとなると、今、日本において問題となっていることの原因は、明治期からの西洋文化流入に伴う情報の錯綜と、LGBTを利用したマーケット戦略や政治的プロバガンダによるものが大きいような気がします。
カミングアウトデーを日本人の立場としてどう見るか……。最後にカミングアウトデーを記念して、カミングアウトどころかオールウェイズオープンであった頃の江戸時代の文献を引用して、終わりにしたいと思います。
【土芥寇讎記】江戸時代の各藩の藩主や政治状況を解説した本より
(美少年を好む大名についての評価)
美小人を愛せらること、この体の事は非とすべからず。聖人にも一失あり、況や凡人をや。その上偏愛の心なしといえば害あるべからず。
行跡について論ぜば、善将というべきなり。悪行なければ善将ともいうべし。
訳)
美少年好きについて非はありません。聖人ですら一失あるもの、ましてや凡人です。極端に人の道を外れてるわけではないから問題はありません。
ちゃんとやることをやっていて特に悪いことをしてないので善い将と言えるでしょう。