木の命、肉の命
法隆寺をはじめ、貴重な建築物の数々を再建し「最後の宮大工棟梁」と呼ばれた人がいました。
西岡常一氏は、宮大工の道を極めた大人物であり、その著書で木の命(ここでは檜)について明言されています。
木の命には二つありますのや。一つは今話した木の命としての樹齢ですな(檜の寿命は二千五百年から三千年が限度といわれる)。もう一つは木が用材として生かされてからの耐用年数ですわな。
檜の耐用年数が長いということは法隆寺を例に取ればよくわかりまっしゃろ。(中略)今から千三百年前には建てられていたことになりますな。(中略)これはすごいことでっせ。それもただ建っているというんやないんでっせ。(中略)千三百年たってもその姿に乱れがないんです。(中略)しかもこれらの千年を過ぎた木がまだ生きているんです。(中略)鉋をかければ今でも品のいい檜の香りがしますのや。これが檜の命の長さです。(中略)
この寿命をまっとうするだけ生かすのが大工の役目ですわ。(樹齢)千年の木やったら、少なくとも(用材として)千年生きるようにせな、木に申し訳がたちませんわ。そのためには木をよくよく知らなならん。使い方を知らななりませんな。
西岡常一「木のいのち木のこころ(天)」より
生きてきただけの耐用年数に木を生かして使うというのは、自然に対する人間の当然の義務で、そうであれば木の資源がなくなることはない、と西岡氏は言います。
これと同じようなことを語る人が広島県にいます。先日ご紹介した焼肉かのんの店主・日浦さんです。
日浦さんは肉にこだわり自ら厳選したものだけを提供する焼肉店を経営されていますが、そのポリシーにおいて「牛を2回殺さない」と言います。
殺さないと肉は食べられません。命を奪うことで得られた肉の「第二の命」を生かすも殺すも店主の腕と心構え次第と考え、日浦さんは第二の命を生かすため肉に対して真摯に向き合っています。
道は違えど行き着くところは同じといいます。木の命、肉の命。それぞれのプロフェッショナルの観点から、命の向き合い方、扱い方を私たちは教わっています。