武田信玄のトイレットオフィス「甲州山」
11月10日は「い(1)い(1)ト(十)イレ」の語呂合わせで、トイレの日に制定されています。
トイレは超個室空間。中で考え事をしたり本を読んだりと長時間滞在する人も少なくありません。そんなロングステイ・トイレの元祖が、ちょっとお腹が弱かった戦国武将・武田信玄です。
武田信玄の専用トイレは「甲州山」という名が付けられていました。広さは京間6畳。京間なので普通の6畳よりもやや広く、床には畳が敷き詰められていたそうです。間取りを広くとっているのは、敵襲に備えるためと言われています。
戦国時代のトイレは、おまるに似た「樋箱」を使ったり、公共の汲み取り式仕様が一般的でした。そんな時代にあって、武田信玄の「甲州山」はなんと水洗式。信玄が鈴を鳴らすと家臣が風呂の残り湯を流すという人力システムだったそうです。
また、匂いにも気を配り、部屋の四隅には常に香が焚かれていました。その香の番にも小姓をつけて朝昼晩と焚きしめさせていたという念の入りようです。
徹底したこだわりで、清潔に快適に整えられた信玄のトイレには、仕事の資料なども置かれていました。プライベート空間でありオフィスでもあった甲州山は信玄のお気に入り。ここに篭って様々な戦略を練り上げます。
お腹の弱さを逆手にとって神聖なオフィスを創り上げた武田信玄。彼の多くの功績はトイレで生まれたのです。