ケンカ上等!忠臣蔵に見る播磨のDNA

葛飾北斎/新版浮絵忠臣蔵 第十一段目

12月14日は歴史好きには言わずと知れた赤穂浪士が討ち入りをした「忠臣蔵」の日です。

忠臣蔵は江戸時代に起こった赤穂事件を元に作られた物語です。赤穂事件をざっくり解説するとこのような事件でした。

赤穂藩(兵庫県南西部)の殿様・浅野さん(35歳)が、礼儀作法を指導する格式高い家柄の吉良さん(61歳)を、江戸城内で刀を持って切りつける、という事件が発生しました。浅野さんは普段から吉良さんが気に入らなかったようです。

吉良さんは死に至らなかったものの、浅野さんは切腹を命じられお家断絶という重罪となりました。対して吉良さんはおとがめなし。それが不公平だということで浅野さんの家来達が怒り、12月14日に吉良家に押しかけて主人の敵討ちをした、という事件です。

浅野の家来達は義士の鑑だ、と義理人情に厚い江戸の人々にウケて、この事件を元に「忠臣蔵」という物語が生まれました。歌舞伎などで上演され、今に至ります。

赤穂事件に関しては、浅野さんが悪いとか吉良さんが悪いとか、裏で手を引いていた者がいるとか、未だに色んな話が飛び交います。真相はわかりませんが、赤穂藩の人達が「播磨の人間」だとわかると、少し見えてくるものがあります。

赤穂は兵庫県南西部「播磨地域」にあります。播磨人は普段は温厚ですが、いざとなると血気盛んな猛者に豹変します。奈良時代に編纂された「播磨国風土記」にも見られるように、神々の時代からヨソ者とケンカをしてきたツワモノ達です。そのケンカ上等の気質は、播磨の秋祭り「灘のけんか祭り」にもそのまま残されています(けんか祭りは今でも死人が出るほど激しい祭りです)。播磨の人々は数千年前からケンカをしながら相手を受け入れてきた歴史があるのです。
そのような歴史背景を持つ播磨人は、相手と分かり合おう、意志を通そうと思えば、やはり命がけのケンカになるのかもしれません。

以前ご紹介した「播磨の伝説の百姓」「播磨の神々の物語」もしかり。播磨人の熱いDNAは、神々の時代から受け継がれているのだと感じさせられる、師走の忠臣蔵です。

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