田んぼがある風景が育むもの

今時分は少し地方に行くと、野山を背景にして水をたっぷりとたたえた田んぼがある風景を見ることができます。しかしながら、都心部に田畑はありません。ガーデニングやビルの屋上の菜園などあることはあるのですが、「田んぼと人が作り出す田舎の風景」とは程遠いものです。

かつて私などは親たちから食べものへ対する敬虔さを教えこまれて育った。お百姓さんの苦労をしのぶようにという心がまえなのだが、その心がまえが不十分であっても、それでも青田の美しさや秋の刈り田の光のやわらかさは、十分に私たちの感性を養った。そのことをぬきにして、お百姓さんへの感謝というものは育ちようがないわけで、日頃さして心にとめてないようでも、それで季節の折目々々に人の汗なしには変化しない風景に接する事実を知らぬ者はいなかった。そして、一粒の米が、ほぼどのような行程で食卓にのぼるものかを、四季の変化を感じとる程度には感じとっていたのである。

田植えの頃/森崎和江

都心部で年間を通して暮らしていると、たった4つの季節の変化を感じとるのも一苦労です。ましてや田舎の景色がどのようにして成り立っているのか、はたまたお米の出来ていく行程など、感じとりようもありません。

田んぼがある風景が育むものは、思いのほか大きく、私たちの感性に影響を与えているようです。

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