陶芸家・今西 (2)
今西の拠点である丹波篠山は兵庫県の東部に位置する。丹波黒大豆などの特産物が知られる農業が盛んな地域であるが、古来より作陶も盛んに行われていた。丹波焼は平安時代末期から鎌倉時代の頃より歴史が始まり、1978年には国の伝統的工芸品指定を受けている。
丹波焼の登り窯による焼成は最高温度約1300度で、約60時間続く。その結果、燃料である松薪の灰が器の上に降りかかり、釉薬と融け合って窯変し「灰被り」と呼ばれる色や模様が表れる。これが丹波焼の大きな特長である。
丹波焼は800年の歴史があるが、初期の頃は人工的な釉薬は使わず、窯内で灰が器にかかり土の成分と反応することで鮮やかな美しい色を生み出していた。自然釉といわれる初期丹波焼の特長である。中期以降になると植物や鉱物などを原料にした
人工釉が出現する。その釉薬を巧みに使って多種多様な名品が作られたのである。
今西はこの丹波焼の伝統に真から向き合い作品を生み出す作家である。現代の陶芸界では、近世以前の伝統を本気で復興しようとする者は「異端」と見なされる傾向が少なからずともあるようだが、今西も例外ではない。けだし、異端かどうかの論議はどの界隈においても真にそれらを愛する人々の間で密やかに行われるものであろうし、それすらも時代を経て変わりゆくものなのかもしれない。異端の論議はさておくとしても、陶芸に対する彼の深く熱いこだわりは随所に見られるのである。
今西の作陶は土探しから始まる。播磨日本酒プロジェクトの酒器作りも土探しから始まったため、我々素人はそれが当たり前のように思っていたがそうではない。通常は市販の土を使って作陶する場合が多く、自ら各地に赴き土を探し求める陶芸家は、現代においては稀有な存在なのだ。 釉薬にしても然り。
採取してきた土は、石や異物を取り除き粘土分を抽出するために精製する。それを土の状態を見ながら寝かせたり精製する前の土と合わせたりしながら、一番良い状態の陶土を作り上げるのだ。
丹波焼の窯の燃料には通常松の割木が使われるが、今西はくぬぎや樫などの雑木も薪として利用する。松だけでは古丹波の色が再現できず、古(いにしえ)の作陶の状況を想像して試行錯誤の結果辿り着いたのが、雑木を薪として使うことだったという。薪のくべ方や窯内の配置などあらゆるところに注意を払い焼成し、作品を生み出すのである。このようなことは作陶に対する彼のこだわりのごく一端に過ぎない。
古丹波に魅せられて古丹波を愛し、強い思いを持って生活の全てをそれに捧げてきた男である。古格すら感じさせる彼の作陶に魅せられる愛好家もまた多い。今西はこれまで作陶に一途な情熱をかけて一流としての立場を築き上げてきたのだ。
(続く)