江戸が生んだ花菖蒲

花菖蒲は、野山に自生するノハナショウブを品種改良したものです。元は単純な花形でしたが、改良が進むにつれて、現代に見られるような華やかな品種が多く生まれました。

花菖蒲の品種が飛躍的に増えるのは江戸時代後期。その中心人物となったのは、松平定信の遠縁にあたる、旗本・松平左金吾定朝です。

父親の影響で幼い頃から植物を育てるのが好きだった定朝は、若い頃から花菖蒲の改良に着手します。84歳で亡くなるまでの60年以上に渡って品種改良に励み、生み出した花は300品種といわれています。その功績をたたえて「菖翁」とも呼ばれています。

定朝の見事な花は評判を呼び、屋敷には多くの人が押しかけて花菖蒲を求めました。自分の花が軽々しく扱われるのを嫌った定朝は、花の栽培方法を門外不出としましたが、晩年は園芸書を残しています。

現象界宇宙を表した「宇宙(おおぞら)」、虹色をした天女の羽衣という意味の「霓裳羽衣(げいしょううい)」、「五湖の遊(ごこのあそび)」、これらは定朝が作った花菖蒲の品種名です。定朝は花菖蒲の改良のみならず、品種名にもこだわっていたのでしょう。花に対する並々ならぬ思いが感じられます。

植物を愛した旗本が生み出した花菖蒲は、150年以上経った今も、現代人の心を癒やし楽しませてくれます。

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