麦湯の店は不要か不急か
日本の暑い夏に欠かせない麦茶。さっぱりすっきりした喉越しが、蒸し暑さを爽快に吹き飛ばしてくれます。
麦茶が一般に普及し出したのは江戸時代中後期から。夏の夕方になると麦湯(当時の麦茶の名前)を売る茶屋がオープンし、庶民は麦湯を飲みながら夏の涼を楽しみました。
夏の夕方より町毎に麦湯といふ行燈を出し、往来へ腰掛の涼台をならべ、茶店を出すあり、これも近来のことにて昔はなかりし成
寛文見聞記より
今でいうビアガーデンやオープンカフェみたいな感じでしょうか。縁台で涼みながら麦湯を楽しむ人たちの会話が聞こえてきそうです。この宵の口のひとときが、生活の潤いとなり活力ともなっていたことでしょう。
昨年あたりから、そんな憩いの場が軒並みクローズになりました。さて、ここで考えたいのが「麦湯の店の意義」です。
人の体は実に無数のモノからでき、外界の様々なモノから影響を受けて呼応しながら成り立っています。ゆえに一つの物事だけに焦点を当てたのでは、全体がわからなくなります。
喉を潤すだけなら水を飲めばいいのに、江戸っ子がわざわざ店に出かけたのは何故か。珍しい麦湯を飲むためか、話し相手がいるからか、きれいな女性が店子だったからか……。人の体は飲食物以外にも多くのものから成り立っています。免疫力もしかり。麦湯の店が心身に与える影響は、思った以上に大きいものかもしれませんし、そうでもないかもしれません。
どのような規制が必要か、どのように対処対応したらベストなのか、木を見て森を見ずになっていないか、今一度一人一人が立ち返ってみるのもいいかもしれません。
100人いれば100通りの考え方があります。大事なことは、一人一人が思考して、自立して行動することです。