記録の落とし穴
ブログが日本で流行りだしたのは今から20年程前の2000年代前半のこと。同時期にFacebookも生まれ、2005年の流行語大賞に「ブログ」が選ばれました。この頃からsns(ソーシャルネットワーク:ネットを介した人間関係のあり方)の時代が始まり、現在では生活にしっかりと根付いています。
snsの普及に伴い、大量の物事が「記録」されるようになります。日々の出来事、食事や家族や友達との画像、お気に入りの動画など個人が膨大な記録を保存することが可能となり、それが当たり前のこととなりました。
江戸時代の俳人、松尾芭蕉が語った言葉が弟子の手記に残されています。
師の曰く、学ぶ事はつねにあり。席に望んで文台と我と間に髪といれず。おもふ事速やかにいひ出て、ここに至って迷ふ念なし。文台引き下ろせば則ち反古也、ときびしく示さるる詞もあり。
服部土芳/赤双紙
俳諧の席では各々が創作した句が発表され、それが文台に置かれた懐紙に書きとめられる(記録)。だが作品を文台から引き下ろせば、それは反古(役に立たない不用品)に過ぎない、という意味です。
創作しているその真剣な一瞬一瞬、句を分かち合う瞬間と心が尊いのであって、それに比べると「記録」は価値としては遥かに劣るのだというのです。その精神は一期一会にも繋がっていきます。
記録は後世に残すための大事な仕事であり、思い出を繫ぎ止める楽しい作業でもありますが、「記録」することで生まれる安心感から、その一瞬一瞬に対する集中力や感動が薄まっているような気もします。
私達は記録する事に固執するあまり一番大事なことを落としているかもしれません。記録の落とし穴にはまらないように、気をつけていきたいと思います。