播磨の神々は今
1993年12月11日、兵庫県姫路市にある姫路城が日本初の世界文化遺産に登録されました。
姫路城がある播磨地域は兵庫県南西部に位置します。古代播磨は、大和と九州、出雲、四国など諸国を結ぶ東西南北の交通網があり、海にも面しているため大陸(海外)との往来もありました。人的にも物流的にも交流が盛んな要衝地だったのです。奈良時代に編纂された古事記と同じ頃に作られた播磨の地誌「播磨国風土記」には、様々な神々や皇族、渡来人、豪族達がやってきたという伝承がたくさん残っています。
しかしながら、ヨソ者を簡単に受け入れることはしないのが播磨人。播磨国風土記には「喧嘩」の話がたくさんあります。神様同士の土地争い、男女の痴話喧嘩など、地元民(神) VS 他所者(神)のいろんな喧嘩事情が風土記には赤裸々に記されています。
ここで、同じ頃に編纂された出雲の「出雲国風土記」を見てみましょう。この風土記には出雲独自の国土創世神話を始め、各地域の由来や土地の様子、産出物などがすっきりとまとめられています。まるで優秀かつ真面目な人が読みやすく作ったレポートのようです。
対して「播磨国風土記」には、神々の喧嘩のやり方や恋バナ、修羅場、酒を呑み散らかした様子などが自由奔放に書かれています。地域の人間性(神性?)が現れています。
さて、現代の播磨人達を見てみると、もちろん全てそうとは言えませんが、大らかさや気性の荒さ、体当たりの人間関係など、どこか「播磨国風土記の神々」の面影が感じられます。播磨の一大行事として、日本三大喧嘩祭りの一つに数えられる「灘のけんか祭り」が有名ですが、この祭りにも播磨の交流の歴史や播磨人の気質が現れているようです。
白鷺城と言われるほど白く美しい姫路城ですが、その地に住まう現代の播磨人の中には、泥くさく人間味溢れた逞しい播磨の神々の血が、数千年の時を超えて今もなお息づいているような気がします。