野分から台風へ

秋の暴風のことを昔は「野分(のわき)」と呼んでいました。野を吹き分ける程の激しい風という意味です。昔は「台風」という自然現象が分からなかったため、秋に突然吹き荒れる暴風(台風)のことを野分と呼んでいたのです。

約1000年前に活躍した女流作家・清少納言は随筆「枕草子」に野分の様子を書いています。

野分のわきのまたの日こそ、いみじうあはれにをかしけれ。立蔀(たてじとみ)、透垣(すいがい)などの乱れたるに、前栽(せんざい)どもいと心苦しげなり。大きなる木どもも倒れ、枝など吹き折られたるが、萩、女郎花(おみなえし)などの上によころばひ伏せる、いと思はずなり。格子の壺などに、木の葉をことさらにしたらむやうに、こまごまと吹き入れたるこそ、荒かりつる風のしわざとは覚えね。

清少納言「枕草子」より

清少納言より約900年後の1914年、与謝野晶子が随筆の中で、最近は野分のことを「台風」という新語で言うのだ、と書き残しています。この頃は台風という言葉が生まれたばかりで、新鮮に聞こえた時代でした。

台風という新語が面白い。立秋の日も数日前に過ぎたのであるから、従来の慣用語でいへばこの吹降は野分である。野分には俳諧や歌の味はあるが科学の味はない。もちろん「野分のわきのまたの日こそ、いみじうあはれなれ」と清少納言が書いた様な平安期の奥ゆかしい趣味は今の人には伝わっているから、野分という雅た語の面白みを感じないことはないが(中略)気象台から電報で警戒せられる暴風雨は、どうしても「台風」という新しい学語で表さなければ自分達に満足ができないのである。

与謝野晶子「台風」より

与謝野晶子から約100年後、私達はすっかり「野分」を忘れ、大昔から「台風」があったと思い込んで暮らしています。
現象と言葉は時代を経て移り変わることを、昔の女流作家達が時を超えて教えてくれます。

SHARE
  • URLをコピーしました!
目次