地名は過去と現代を繋ぐ

夢前町の雪彦山

1332年3月7日、この日は後に南朝初代天皇となる後醍醐天皇を隠岐へ流罪することが決定した日です。

兵庫県姫路市夢前町に山之内という名の地区があります。姫路駅から車で北へ約4、50分程走ったところにあり、今でも豊かな自然が残る山々に囲まれた場所です。
この山之内地区には立船野(たちおおの)という名の土地があります。海から遠く離れた山深いこの地になぜ「船」の名が付いたのか。その由来は後醍醐天皇にありました。

隠岐島に流された後醍醐天皇は、その地で海運業を営んでいた武将・名和長年(なわながとし)とともに挙兵します。京都への帰還途中に夢前町に立ち寄り、山之内に天皇忍びの御所を設けたそうです。この地を選んだ理由は、山深いこの場所が敵から隠れるには最適な立地であったからだといわれています。

海の男である名和長年が帆掛船印の旗を立てて御所を造営したことから、山之内の一角を立船野と呼ぶようになりました。その名は現代にも残っています。

地名は過去と現代を繋いでいます。

山のはに
鹿もかいろのこゑたてて
雲になみのる 立船野の船

後醍醐天皇御製

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