村上天皇と梅

平安時代に在位した村上天皇。流行り病を梅と昆布を入れたお茶で退散させた天皇には、もう一つ梅にまつわる有名な故事があります。

内裏の清涼殿には立派な梅の木がありましたが、枯れてしまいました。それを惜しんだ村上天皇は代わりとなる梅の木を探すことに。しかしながら、清涼殿に植える梅となるとなかなか良い木が見つかりません。

しばらくして都はずれの民家に立派な梅の木が発見されました。天皇の勅命の元、木を掘りとって持ち去ろうとすると、家の者が出てきて、梅の木に短冊を結びました。

清涼殿に梅の木が植えられると、村上天皇はその見事な立ち姿に喜びましたが、ふと枝に結ばれた短冊に目が止まります。短冊を広げてみると、そこには歌が書かれてありました。

勅なればいともかしこし鶯(うぐいす)の
宿はと問はばいかが答へむ


訳)
勅命とあればこの木を差し出しますが、いつもこの梅にやってきて巣を作る鶯に、梅の木はどこかと問われたらどう答えたらいいでしょう。

この歌に感動し、作者は只者ではないと思った村上天皇は、短冊の主を調べさせます。すると、紀貫之の娘・紀内侍(きのないし)であることがわかりました。彼女は父の亡き後、父が大切にしていた梅の木を形見として大事にしていたのです。

村上天皇は彼女の胸中を知り「残念なことをしてしまった」と見事な梅を見ながら嘆いたそうです。

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