蛍と共に

蛍を見るためには、山奥のきれいな水辺まで足を運ばなければなりません。昔は田んぼに行けば蛍は当たり前のように飛び交っていました。蛍が見られなくなった原因の一つに農薬の普及があります。

農薬のために蛍が居なくなる。米という現実、蛍という情緒、その両者は併存することは難しかろう。


團伊玖磨/「蛍」より

團伊玖磨が情緒の喪失を嘆いた昭和の頃よりも、いやまして情感が消えてしまった現代。現実と情緒のせめぎ合いの末、現実が競り勝ってしまいました。ここでいわれる「情緒」とは自然のこと。人があまりにも自然を差し置いて、自分達だけが生きていると思い過ぎた結果が今です。

人も自然の一部であると考える謙虚さがあれば、便利でスピード感のある現代を楽しみながら、蛍と共に生きることはできるかもしれません。

全体を考えられる賢さと強さ、謙虚な心と感性が、各々できる範囲で一人ひとりに求められているような気がします。数十年後の先にも蛍を見ることができるように。

SHARE
  • URLをコピーしました!
目次