ライトアップはなかった
見る人もなくて散りぬる奥山の
もみぢは夜の錦なりけり
紀貫之
この和歌を初めて知った時、私の目の前には月明かりに照らし出された真っ赤なもみじや、ライトアップされた幻想的な紅葉の景色が浮かんできて、夜の山は華やかで艶やかな景色が広がっていると解釈していました。
しかしながら、この歌が作られたのは平安時代。今とは違い夜は完全な闇となり、真っ暗で何も見えません。
この歌の「夜の錦」とは、夜に着飾って歩いても誰からも見られることがないから何にもならない、という意味です。奥山のもみじは夜の錦のごとし、せっかく美しいのに見る人もいないから残念だ、という意味の歌です。
平安の和歌に「ライトアップの紅葉」を見てしまったことを恥じつつ、それでも幻想的な「夜の華やかな錦」は性懲りも無く心の景色に浮かび上がります。この和歌を見ると、未だに独自の解釈で楽しんでしまいます。