天皇も隠れ場所に選んだ!隠れ里の人気物件

人目を避けた人達が、人里離れた山奥などに作って住んだ村を隠れ里と言います。よく知られるところでは平家の落人の集落などで、全国各地にひっそりと存在していました。

隠れ里という性質上、その候補地としては人目につきにくい立地が好まれますが、そんな条件にぴったり合い、隠れ里として人気を博した土地が、兵庫県姫路市夢前町にあります。

兵庫県の姫路城から北へ車で40分程行くと、山之内という集落にたどり着きます。雪彦山の麓に位置し、山々に挟まれ人家はまばら、今も豊かな自然が残る場所です。

山之内は南北を流れる川により5つの谷が形成され、谷ごとに里があります。この5つの里のそれぞれの先祖は、訳ありで流れ着いてきた大物氏族だったそうです。

一つは出雲王朝系の一族。
一つは渡来系氏族である秦氏。
一つは平城京より流された阿彦氏。
一つは平安京より流された真壁左中将。
一つは平家。

5つの氏族は山之内の谷に隠れ住み、その系譜は現代にも受け継がれています。

この話を教えてくれたのは、山之内でレストランを経営する福岡氏。事業を拡大する中で地元の人々と関わるうちに、5つの里ごとに意見が大きく異なることに気づいたとのこと。それがきっかけで郷土史を調べたところ、隠れ里の史実が浮かび上がってきたそうです。

南朝初代天皇である後醍醐天皇も、流された讃岐島から京都へ帰還途中の隠れ家として山之内を選んでいました。山之内には今も天皇忍びの御所の跡が残されています。

今でこそ車で簡単に行き来できる場所ですが、昔はかなりの秘境。隠れ住むにはうってつけで、訳ありな人には大人気の物件だったようです。

ちなみに、福岡氏が経営する農家レストラン且緩々(しゃかんかん)は地元食材がビュッフェスタイルで楽しめるランチが大人気で、山奥にもかかわらず平日でも人が絶えない人気のレストランです。隠れ里は今も変わらず自然の中にありますが、ランチや登山で人の往来は昔と比べて随分増えました。

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